2021年1月31日の説教要旨  列王記上8:22-30・Ⅰコリント3:10-17

「神の神殿」     加藤 秀久伝道師

*はじめに 

ソロモン王は、主の契約の箱(十戒の石板が入っている)を置く住まいとして主の家・エルサレム神殿を建てました。王になって4年目(紀元前966年頃)に始まり7年かけて完成しました。新しい神殿に納められた主の箱は、厳粛な儀式と共に「ダビデの町・シオン」に置かれていた天幕の中から運び出され、主の箱だけではなく臨在の幕屋も、幕屋にあった聖なる祭具もすべて運びだされ、予定されていた所に移されました。

主は、神殿を建てるのは父ダビデではなく、息子ソロモンが神殿を建てると告げられていました(8:17~参照)。 本日の聖書は、その約束が実現して、ソロモン王がイスラエルの全会衆の前で主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして感謝の祈りをささげているところから始まります。

*祈る姿勢

父ダビデは、「今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み、あなたの力と栄えを見ています。あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。命のある限り、あなたをたたえ手を高く上げ、御名によって祈ります」(詩編63編)と祈っています。このように神様に両手を上げて祈る行為は、天におられる父なる神様に向けて、私達自身がすべてを明け渡し、従うことを表していると思います。

*神様は地上にお住まいになるか?

ソロモン王は、祈りの中で、神様がこの地上の限られた空間である「神殿」に果たして住まわれるのか(8:27)と問うたことに対して、主は9:3で、「私はあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこに私の名をとこしえに置く」と仰せになっています。(申命記12:11には、礼拝の場所を、「あなたたちの神、主がその名を置くために選ばれる場所」と記され、イエス様もエルサレム神殿について、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」(マタイ21:13・イザヤ56:7)と引用されていて、神殿のその持ち主は「神様」であることが分かります。

エルサレムの語源には「シャレムの神の基礎」・「平和の基礎」のいずれかの意味があり、ここに神様に向かって礼拝する場所が出来たのです。

*コリントの教会

コリント教会は歴史が浅く、信徒達の信仰や霊的状況が未熟だったため、神様が第一ではなく、イエス様のことを伝えた伝道者に目が注がれ、「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」など、信徒の間に分裂が起きていました(1:12)。そこでパウロは、人々の信仰を成長させて下さるのは、伝えた人ではなく神様の言葉に真理があることを述べて、

私達は神のために力を合わせて働く者であり、あなた方は神の畑、神の建物なのです。」と伝えています(3:9)。

*教会の働き

そうです。教会は一人の力では限界があり、大きな働きは出来ません。私達は神様の畑です。神様は私達に「み言葉」という種を蒔き、育てて下さり、実り豊かな作物を生み出そうとしておられます。私達は神様のために力を合わせて働く者達の群れ、共同体です。

*教会の土台

パウロは、「神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです(10節)」と記しています。パウロは、イエス様が人々の罪のために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に甦って、すでに教会の土台に据えられているのだから変更はできないとしています。そして、12節以下で、主は火によって、私達が土台の上に建てる仕事を吟味されると教えています。

さらに、教会の信徒達は「神様の宮」であること、神様の霊が私達の心に住んでいて下さるので、そのような人々の交わりに、不和、争い、分裂を持ち込む者達は、聖霊の働きを弱め、教会を破壊し、最後には神様によって滅ぼされる(3:17)ことを告げています。

私達は罪赦されて、神の神殿とされた者達です。ですから私達はイエス様のことを告げる、生きた証人として、この世へと出ていきましょう。