「主イエスの種まき」 加藤 秀久牧師
*はじめに
本日のルカ福音書には、大勢の群衆が「神の国の言葉」を聞くためにイエス様のそばに集まってきたので、イエス様は群衆に向かってたとえを用いて語られたことが記され、そのたとえ話を終えられたイエス様は、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた、と記されています。
イエス様はなぜ、大声で「聞く耳のある者は聞きなさい」と言ったのでしょうか。大声で言われるとは、呼びかける、繰り返し叫び続ける、訴え続ける、と言う意味が含まれます。
*イエス様は、誰に? 何を? (聞きなさいと言われたのか)
誰に?とは、直接には、「方々の町から集まって来た群衆」に、ですが、イエス様は、神様を信じる人々に、そして今、生きている私達に、繰り返し「聞くように」と、叫び続け、訴え続けておられます。
何を?とは、「神様の言葉」です。「神様の、喜ばしい知らせ」、「神様が私達と共にいて下さること」「神様の想い」「神様の熱いメッセージ」を、イエス様は、聖書を通して私達のもとへ、今も送り届けて下さっています。
では、イエス様の声は、私達の心の中でどのように響いているでしょうか。
私にとっては、こだま(山びこ)のように絶えず心の中で鳴り響く声、騒ぐ心を落ち着かせる安定剤、弱っている心を力強くさせてくれるもの、心や体、霊の部分に栄養を与えて下さる薬のような栄養源、となっています。
*イエス様の弟子達は?
神様の子とされた弟子達は、聞いた話の意味をイエス様に質問し、尋ねています(9節)。「聞く耳のある者が聞く」とは、熱心に、納得いくまで何度も繰り返し尋ね、聞き続ける、質問し続けることだと思います。問い続け、求め続けることをあきらめずにするなら、きっとイエス様の語った言葉を理解することが出来て、イエス様が私達に伝えようとしているその真理を見つけ出し、たとえの本当の意味を悟り、理解することが出来るようになると思います。
*「あなた方には神の国の秘密を悟ることが許されている」
弟子達はイエス様から、「あなた方には神の国の秘密を悟ることが許されている」と言われました。神様とイエス様を信じる私たち全ての者は、弟子達と同じように、神の国の秘密を悟るという素晴らしい特権が与えられています。信じる者には、神様の奥義、神様を知ることが出来る扉が開かれているのです。ですから神様の言葉を正しくが理解できるように聖霊の助けを求めていく必要があるのです。私達が弟子達のようにイエス様の言葉を聞いて、その意味を問い、「教えて下さい。分かるように説明して下さい」と、心の中にある想いや疑問をイエス様に向かって求め続けていくならば、本日の「種まきのたとえ」の中の「良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」種となっていくでしょう。
*詩編147編
本日の詩編の作者は、1節で「ハレルヤ。私たちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく 神への賛美はいかに美しく快いことか」と、神様を讃美する喜びを歌い、続いて、バビロン捕囚の中にある神の民イスラエルの人々に、主は「打ち砕かれた心の人々を癒し その傷を包んで下さる。(2~3節)」と、エルサレム再建の希望を伝え、主は「天を雲で覆い、大地のために雨を備え 山々に草を芽生えさせられる。獣や、からすのたぐいが求めて鳴けば 食べ物をお与えになる。(8~9節)」と、自然や生き物にも神様の配慮があることに目を向けさせ、11節で「主が望まれるのは主を畏れる人 主の慈しみを待ち望む人。」と歌います。
*神様を信じるわたしたち
神様は、天の星、空の雲、雨や水、地上の草木、獣、鳥、農作物など、地球上を取り巻くそれら全てを支配し、生きるもの全てに命を与えられました。神様を信じるイスラエルの人達や私達は、神様にとってとても特別な大切な存在です。それだからこそ生きる全ての人達が神様の民になることは、神様にとって喜ばしい大切な出来事です。私達は、良い土地にまかれた種として歩み、この詩編作者と同じように、どんな時にも神様に聞きつつ、神様への讃美の歌声を響かせて参りましょう。