7月5日の説教要旨 「『人の子』の権威」 牧師 平賀真理子

ダニエル書7:13-14

ルカ福音書5:17-26

 はじめに

イエス様がなさった「神様についてのお話」と「病いの癒しの業」によって、その評判はガリラヤ・ユダヤ地方一帯に広まり、エルサレムにも届きました。前者は、今までのユダヤ教の先生方の話とはずいぶん違うことで評判になりましたし、後者は、病いが目の当たりに治るのですから、人々は大変感動し、その素晴らしさは瞬く間に広まったでしょう。

 ファリサイ派の人々や律法学者達の批判的な思いの中で

噂を聞きつけて、当時のユダヤ教の指導者達がやってきました。ファリサイ派と呼ばれる人々と律法学者達です(参照:聖書の「用語解説」)。彼らは噂の「ナザレのイエス」の言動を偵察に来たのです。彼らの批判的な眼差しの中でも、イエス様は「主の力」によって癒しの御業を続けられました(17節)。「主の力」は人間の思惑や行動で左右されません。ファリサイ派の人々や律法学者達は、自分達の眼の前で確かに行われている「主の癒しの御業」について、何も言えなかったに違いありません。

 「中風の人」への御言葉「あなたの罪は赦された」

しかし、「中風の人」に対してイエス様が言われた御言葉に対して、ファリサイ派の人々と律法学者達は、敏感に反応しました。イエス様の所に押し掛ける人々が非常に多くて、通路がないために天井を壊して床ごとつり降ろしてでもイエス様の御力を信じて癒して欲しいと必死だった「中風の人」と運び込んだ人々の「信仰」をご覧になったイエス様が、「あなたの罪は赦された」と言われた御言葉に対して、反感を持ちました。ファリサイ派の人々や律法学者達は、この御言葉は神様しかおっしゃることはできないし、「罪を赦すこと」が実際におできになる御方は神様しかいないと知っていました。彼らは、イエス様に対して、「人間であるのに、神様を冒瀆している」と考えたのでしょう。

 「人の子」が罪を赦す権威

そんな反対派(ファリサイ派の人々と律法学者達)の考えをよく知り抜いたイエス様が、不思議な問いかけをされています(23節)。「罪を赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいかという質問です。多くの方がどちらだろう?と疑問を持つでしょう。しかし、これは、単なる質問ではありません。次に続いている御言葉に繋がっています。「『人の子』が地上で罪を赦す権威があることを知らせよう。」このことが重要です。「人の子」とは、やがてこの世に来ると預言されていた「メシア」のことです。この世を創られた父なる神様から、権威・威光・王権をすべて譲り受けて、この世を治めてくださるようになる御方が「人の子」です(ダニエル7:13-14)。「人間の姿をしたメシア」をこの世に送ってくださるとの神様の約束が預言書ダニエル書に書かれていて、ユダヤ教はそれを伝えてきました。イエス様はご自分のことを話される時に、この「人の子」という言葉をよく使われました。ご自分が、聖書で預言されてきた「メシア」であることを暗示しておられたわけです。イエス様は、神の御子として、父なる神様が人間を罪から救いたいと何よりも願っておられるという御心をよくご存じでした。そして、その使命のために生き、また、そのために死なねばならないこと(十字架)もわかっておられました。神様の御心と御言葉は必ず実現します。だから、イエス様が「ご自分には罪を赦す権威がある」とおっしゃって、実際に「中風の人」は罪が赦された結果、この世での目に見える形として、病いの癒しが行われて、起きて歩けるようにされたのです。

 「神を賛美する者」へ変えられる

ルカによる福音書では、この「中風の人」はイエス様の御言葉によって、「立ち上がり、(中略)…神を賛美しながら家に帰って行った」とあります。イエス様の憐れみによって、実際に癒され、更に、「神を賛美する者」に変えられました。この人だけではなく、この素晴らしい出来事を目撃した人々も、メシアによる救い(罪の赦し)の証し人とされ、すべて一斉に、神を賛美し始めました。そして、「今日、驚くべきことを見た」と賛美せずにはいられなくなったのです。恐らく、反対派の人々も含まれていたでしょう。神の恵みはそれほど豊かです。また、「今日」という言葉は、約二千年前の当時だけを指すのではありません。現代の私達の「今日」をも指しています。イエス様の十字架と復活を信じる者は、「聖霊(神の霊)」によって、現代でも「罪の赦し」を実際にいただくことができるし、また、「罪の赦し」の出来事の証し人として用いられます。永遠なる父なる神様からすべての権威を神の御子イエス様だけが譲り受けておられるからです。

KC3Z0057

7月12日 礼拝後墓地清掃