エレミヤ書

月曜日・火曜日   

ユダとイスラエルに対する預言

1: 1~ 11:17 悔い改めの呼びかけ

11:18~ 20:18 エレミヤの苦闘

21: 1~ 24:10  王と預言者に対する預言

水曜日 

25: 1~ 25:14 諸国民に対する預言Ⅰ

26: 1~ 29:32 エレミヤの苦難Ⅰ

木曜日 

30: 1~ 33:26  慰めの希望の預言

34: 1~ 39:18 エレミヤの苦難Ⅱ

金曜日  

40: 1~ 45: 5 エルサレムの陥落以後

46: 1~ 51:64  諸国民に対する預言Ⅱ

52: 1~ 52:34  エルサレムとダビデ王朝の最後

【エレミヤ書について】

エレミヤが預言者として神の召命を受けたのは、ヨシヤ王の治世の第13年(紀元前627年)とされ、エレミヤは18歳、ヨシヤ王は21歳であったと考えられています。

ヨシヤ王は8歳で王位に着いたと記され〈列王記下22:1〉、その治世は前640年からエジプト王ネコとメギドでの戦いで戦死〈列王記下23:29-30〉するまでの31年間です。ヨシヤ王の死は、ユダの自立への希望の終焉を意味し、ユダ王国にはエジプトから重い貢税が課せられました。その後ユダ王国は、バビロンの支配下に置かれ、宗教混合が起こるなど様々な問題に直面しますが、最終的には、エルサレムは包囲され、占領されて、ユダ王国は前587年に滅亡したとされています。

預言者エレミヤは、主の神殿であるエルサレム神殿は、決してユダ王国の安全を保証するものではなく、主の神殿が堕落すれば、主によって、それは破壊されるのだと警告していました。エレミヤの第1回のバビロン捕囚となった人々に送った手紙には、バビロンという異教の支配下にあっても、落ち着いて生活し、ユダ王国を復興させる志を失ってはならないとの励ましの言葉が記されています。

エレミヤは苦難の預言者・涙の預言者として知られていますが、その人生は、決して悲しみに打ちのめされたものではなく、苦難の中でも神の言葉を伝え続ける強さと、主の希望に生きる力は、主を愛し、主に従うことによって与えられることを、私たちに伝えています。

(『ATD20 エレミヤ書』、『旧約聖書略解』エレミヤ書参照。) i

イザヤ書

 月曜日ー水曜日 1章~ 39章   第1イザヤ書 

  • 月曜日
  • イザヤ書預言への導入1章
  • ユダとエルサレムについての託宣2-12章
  • 火曜日
  • 諸国民についての託宣13-23章
  • イザヤの黙示録24-27章
  • 水曜日
  • ユダについての託宣28-33章
  • 来たるべき審判と救済34-35章
  • イザヤとヒゼキヤについての物語36-39章

木曜日 40:1~55:13  第2イザヤ書

金曜日 56:1~66:24 第3イザヤ書

【イザヤ書について】

イザヤ書は旧約聖書にある15の預言書(3大預言書と12小預言書)の冒頭に置かれ、ヘブライ語聖書においても、預言書の後半(後の預言者)の中の最初の書物です。

イザヤ書は大きく3つの部分に分けられるという考え方が、多くの学者達の見解です。1-39章は前8世紀の預言者イザヤの言葉を基本とした書物(第1イザヤ書)、40-55章は、前6世紀後半の無名の預言者の言葉を中心とした書物(第2イザヤ書)、56-66章は、バビロン捕囚後のエルサレムで活動した通常第3イザヤと呼ばれる預言者の言葉を含んだ書物(第3イザヤ書)と考えられてきました。

【第1イザヤ書の背景】

イザヤ書の冒頭1:1「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。」とあるように、紀元前8世紀後半に活動したイザヤ(主は救い)という人物の幻であるとされている。またイザヤの召命記事(6章)によって、イザヤの預言活動は紀元前736年頃に始まったと考えられ、ヒゼキヤ王の在位年を前728-700年とすると、イザヤの預言活動はほぼ40年にも及んだ。この間、北イスラエル、南ユダ、そしてパレスチナ地方には次のような出来事があった。

733-732 シリア・エフライム戦争

722   サマリア陥落(北イスラエル滅亡)

713-711 アシュドトを中心とするアッシリアへの反乱(ユダ参加)

704   ユダ(ヒゼキヤ)、アッシリアへの反乱を主導

701   アッシリアによるエルサレム包囲

 ヒゼキヤ、アッシリアに降伏

【第2イザヤ書の背景】

紀元前587年、南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされ、その指導者の多くはバビロニアの首都バビロンの郊外に捕え移された。その状態は前538年、新興ペルシアの王キュロスによって解放されるまで、約半世紀間続いた(バビロン捕囚)。第2イザヤはその捕囚末期に活動し始め、解放の時が近いことを告げ知らせ、捕囚の民がエルサレムを中心とする祖国に帰還することを強く促したのである。

第2イザヤ書は大きく二つの部分に分けられ、40-48章が解放以前の状況が背景であり、49-55章は解放後の状況が背景となっている。バビロン捕囚からの解放は「新しい出エジプト」として語られ、それが第2イザヤの使信の中核となっている。

【第3イザヤ書の背景】

第3イザヤ書は、第3イザヤと呼ばれる預言者一人の言葉に由来するものではなく、バビロン捕囚の終結からエルサレムへの帰還(前538年)、神殿再建(前515年)、エズラ・ネヘミヤによるユダヤ教団の形成(前5世紀半ば)に至る期間を背景に、様々な立場から語られた言葉の集成であると考えられている。しかし、その中心的使信は、捕囚後の混乱状況に苦しむ人々への希望の言葉であるとも言える。

(『旧約聖書略解』第1イザヤ、第2イザヤ、第3イザヤ参照。)

雅歌

  • 雅歌の通読に向けて

月曜日 1: 1        題名/1:2~ 2:7  第1の出会い

火曜日 2:8~ 3:5 第2の出会い

水曜日 3:6~ 5:1  第3の出会い

木曜日 5:2~ 6:3 第4の出会い

金曜日 6:4~ 8:4 第5の出会い/  8:5~ 8:14 結び

【雅歌について】

 雅歌のヘブライ語の書名は、 シール・ハッシーリームで、歌の中の歌=最も素晴らしい歌という意味がある。この書物は、ユダヤ教にとって最も大切な、出エジプトを記念する過越際で朗読される。

 多くのキリスト教著述家は、これをキリストと教会の愛のアレゴリー(寓意・ある概念を他の具象的な事柄によって表現すること)と見てきた。また、これをキリストと個々の信徒との関係の比喩(つまり表象や象徴)と見てきた者もある。つまり、この作品は、人間の愛をたたえる賛歌というよりも、教会や個々の信徒達へのキリストの霊的な愛を語る詩的、あるいは比喩的なやり方と解釈される。

 雅歌はいくつもの部分に分かれ、そのうち、最も目立つのは、恋人達の5つの出会いである。最も役に立つ読み方は、一つずつの出会いをひと時に読み、恋人と出会うまでの期待と期待が実現したときの喜びを十分に味わうように努めることである。恋人達の出会いと喜びと、神の家に帰る信仰者の喜びの間には、疑いもない類似がある。

(『旧約聖書略解』720頁・マクグラス、277頁参照。)

【第1の出会い】

 愛する人との最初の出会いを楽しみに待つ一人のおとめは、彼が自分を好きになってくれるかどうかなどについ心配している。冒頭の重要な主題の一つは、人間は愛が必要だということである。

【第2の出会い】

 今や二人の関係は発展しているが、おとめは不安と疑いに悩む。愛する人は彼女を見つけ、一緒に田園に出ようと彼女を誘う。彼女の恋人は高貴な人であることは示唆されているが、彼は彼女を支配するのではなく、彼女を愛する人らしく彼女に接している。

【第3の出会い】

 前回の出会いでの心配は去り、おとめは今、恋人の一途な愛を確信している。彼女が恋人との結婚の準備をしている間に、彼女自身の地位はあがり、彼の地位と富を分かち持つことになる。このイメージは新約聖書でも繰り返され、信仰者がキリストの属性を分かち持つことが描かれている(Ⅱコリント5:21)。

【第4の出会い】

 恋人達は結婚したが、自分が愛する人に対して冷たくなっているのに気付き、その冷たさを悔やむ。しかし彼は行ってしまった。彼女は再び愛する人を探しまわる夢をみて、彼への愛を再確認する。

【第5の出会い】

 おとめは自分の愛する人との関係を考え、富や豪華さではなく、最初の愛の場所に戻りたいと願う。

【結び】

 物語は、人生に意味を与える愛の重要さと、愛はいかに手をかける必要があるかを語っている。最も愛し合う関係でさえも、世話と再生が必要である。雅歌は、信仰者たちがキリストとの関係を持続させ、それを当然と思わないでいる必要性を理解させてくれる。

(マクグラス、278-279頁参照。)

コヘレトの言葉

  • コヘレトの言葉通読に向けて

月曜日 1: 1~ 3:22  神なしの人生の無意味さ

火曜日 

水曜日 4: 1~ 8:15  神なしの人生の無益さ

木曜日 

金曜日 8:15~12:14 神なしの人生の不確かさ

【コヘレトの言葉について】

 コヘレトの書は、神なしの無意味さと聖書的信仰の欠如から不可避に生じる完全な絶望と冷笑的な見方についての力強く説得力のある注解と理解するのが最も良い。これは、神なしの人間の生活の惨めさと不毛さをさまざまと描いて見せ、神を完全に明らかにすることは人間の知恵にはできないのだということを表している。

 この書は、人生の無意さを語る劇的な宣言で始まる(1:2)。これは、あらゆる種類の出来事の分析で例示される(1:3-11)。すべてのものの意味は何なのか。死は人生を終わらせ、かつて生きていた者の記憶を消してしまう。このようでは、なぜ生き続ける意味があろう。キリスト者にとっては、これらの極めて陰鬱で荒涼とした言葉はイエス・キリストにおける永遠の命への復活の希望に超越される。コヘレトの言葉は神なしの人生がどれほどにまったく希望のないものか、私たちに理解させるようにその苦悶を描き出している。

 人間の知恵が何になるのか(1:12-18)。楽しみが何になるのか(2:1-16)。何かに苦労して何になるのか(2:17-26)。すべてまったく無益である(3:1-22)。しかし、これらの言葉を読むキリスト者は、喜びと共に復活の希望と、それがもたらす目的と平安の感覚に戻るであろう。

 (マクグラス、273-274頁より。)

 コヘレトという言葉は、「召集する」という意味のヘブライ語であり、そこから「召集するもの」、「集会で語る者」の意味に解され、「伝道の書」とか「伝道者の書」という訳がなされてきた。「コヘレトの言葉」という書名は、コヘレトを固有名詞と見なしたものである。「エルサレムの王ダビデの子」というのは、ソロモンを指すと考えられるため、箴言とコヘレトと雅歌はソロモンのものとされているが、表題は象徴的なものとも考えられている。

 「箴言」は知恵と倫理の重要性を説き、「ヨブ記」は不条理の現実を問題としているが、不条理を単に運命として忍従するのではなく、その背後にある隠された神の意志を問い詰める誠実さが称えられている。そのためコヘレトの言葉に接した場合、戸惑いを感ずる読者は少なくない。しかし、コヘレトの知恵は鋭く、また人生体験に裏打ちされた深い知恵と見るべきであり、表面上の矛盾を性急に批判したり戸惑ったりするのは誤りである。 

(木田献一監修「新共同訳 旧約聖書略解」日本基督教団出版局、2001年、706頁より。)

★コーヘレトは、ギリシャ語で「教師」の意味を持ち、ルターは「伝道者・説教者(Prediger)」と訳している。

【1ペテロ1:13-21】

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。・・・

あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは・・・きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。・・・あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

箴言

  • 箴言の通読に向けて

月曜日  1: 1~ 9:18  知恵のすすめ

火曜日 10: 1~22:16 ソロモンの箴言

水曜日 22:17~24:34 賢人の言葉

木曜日 25: 1~29:27 ソロモンの箴言(補遺)

金曜日 30: 1~31:31 アグルとレムエルの言葉、有能な妻

【箴言について】

 箴言の目的は、人生の実際的な側面に光を当て、先代に蓄積された知恵を後の世代に伝えることにある。この知恵は、しばしば、日常生活の鋭い観察に基づいている。

 箴言の本論部分(10:1-22:16)は、ソロモンが語ったとされる短い格言的な言葉の集成からなる。ここで「箴言」と訳されているヘブライ語の言葉は、それに対応する英語(proverb)などよりもずっと広い意味を持ち、「ことわざ」や「神託」(どちらも、人間の知恵の集成に神が関与していることを示唆する)を意味することもある。

 聖書の伝承では、ソロモンは際立った知恵の持ち主だった。彼が「語った」格言は3000に上るとされる(列王記上5:12)。聖書の箴言に収められた格言はその7分の1にも上る。・・・

 箴言は、厳密に遵守されるべき律法として扱われるように意図されているわけではない。具体的な状況で人がどのように振る舞えばよいか、実際的な指針をあたえる為のものである。人間関係は非常に複雑なので、それに対処するためには識別力と知恵が必要である。

(マクグラス、264頁より)

【箴言の知恵】

 「知恵」がまず意味するのは、理論的・原理的な問題に答えることができるというよりは、日常生活でやっていける、物や人とうまくやっていくことができる能力である。・・・知恵とは一言で言えば経験知なのである。経験知は、生活の諸事象を観察し、比較可能なものを整理し、法則を認識することである。・・・知恵が目指すのは、危険と損害を遠ざけ、正しく、人々に認められる、成功した人生への道を見いだすことである。

知恵は、特殊イスラエル的なものではなく、オリエントに共通なものである。・・・知恵的思考というものは、長い歴史を持つ。それは、人生の経験を形成している個々の箴言(サム上24:14、箴10:1以下、25:1以下)からヨブ記の対話やコヘレトの言葉の中の長い、神学的な反省にまで及ぶ。

知恵は王の宮廷で培われたとも考えられるが、知恵はもともと家庭の中で、その教育にあったはずである。箴言の知恵は、誰でもが語りかけられており、特定の身分の者に対してだけではない。

 箴言の知恵は、経験を伝えるというその目的のために色々な語り方を使っている。それは、①事実を述べる言葉(マーシャル・格言ないし評決)、②比喩の言葉や直喩の言葉、③数を挙げる格言、④二つの事柄を対比させ、第一の事柄を肯定的に評価し、第二の事柄を否定的に評価する直喩のひとつの独特な形態(~ではなく、○○が良い)、⑤勧めの言葉などである。

 ソロモンの箴言は、おそらくもともと別々に集められたものから成り立っていて、箴言のテーマは多様である。しかし最終的には、神への畏れ-それは同時に神への信頼である-が正しい知恵である。

(シュミット、下巻224-233頁より)

【箴言1:7】 

「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」

詩編

  • 詩編通読に向けて

月曜日  第1巻 1編~41編 

火曜日  第2巻 42編~72編

水曜日  第3巻 73編~89編

木曜日  第4巻 90編~106編 

金曜日  第5巻 107編~150編

各巻末は頌栄やアーメンが繰り返され、150編は詩編全体の頌栄。

ヨブ記

  • ヨブ記通読にむけて

月曜日  1: 1~ 2:13  序・ヨブの紹介とヨブの試練の背景

火曜日  3: 1~14:22  ヨブの嘆きと第1回討論

水曜日 15: 1~21:34  第2回討論

木曜日 22: 1~31:40 第3回討論とヨブの潔白の誓い

金曜日 32: 1~37:24 エリフの弁論

土曜日 38: 1~42: 6  神顕現

    42: 7~42:17  終・ヨブの執り成しとヨブへの祝福

【ヨブ記について】

 ヨブ記は、旧約聖書のなかでは、どちらかといえば知恵文学に分類されますが、この書物は独特の形式を持ち、世界文学の中でも最も重要な作品の一つとして考えられています。ヨブ記は序と終の部分が散文的に、3:1~42:6の本文がヘブライ的韻文・詩文の形式で書かれ、それぞれの文が複雑に絡み合いながら、力強い表現で物語が進んでいきます。

 ヨブ記は人生の中の一つの重要な問題、「なぜ神は苦しみを許すのか」という問題提起をしています。しかし、ヨブ記が語る答えは、人生のあらゆる矛盾や混乱の中においても、「神は確かに存在される」ということです。神の御業、その御心は、人間が理解し得ないものであり、人間の憶測も議論も時にむなしいものでしかないことをはっきりと示しています。

 またヨブ記の物語は、イエス・キリストがなぜ死ななければならなかったのかという問いを私たちに思い起こさせます。その受難の苦しみの背後にある主の愛を少しでも知ることができる時、私たちは苦しみを許す神の深いご計画に触れることが出来るのだと思います。

(ATD11 ヨブ記緒論、マクグラス, 234-235頁参照。)

【ヨブ記の物語】

 ヨブは、無垢な正しい人で、神を恐れ、悪を避けて生きていました。また7人の息子と3人の娘、豊かな財産とたくさんの使用人を持った東の国一番の富豪でした。またヨブは、もし子ども達が罪を犯したら、そのことが許されるようにと執り成しと聖別を行い、一家の祭司的役割も担っていました。

 ある日、天上の会議の中に、地上を巡回していたと語るサタンが現れ、主は、地上にはヨブほど正しく生きている者はいないことに気づいたかとサタンに問います。しかしサタンは、ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうかと問い返し、主はサタンがヨブの財産に触れることを許します。

しかしヨブは全てを奪われても、地にひれ伏して「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と語り、神を非難することなく、罪も犯しませんでした(1章)。

そしてまたしばらくたって、再び主とサタンがヨブについて話し、サタンはヨブの命以外に触れることを許されます。ヨブは、この主とサタンのやりとりを何も知らないまま、今度は頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかり、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしり、激しい苦痛の中に置かれることになります。

ヨブの妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言いますが、ヨブは、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」と語り、罪を犯すことはしませんでした(2章)。

しかしやがてヨブは嘆き、自分の生まれた日を呪います(3章)。 

そして嘆くヨブに向かって友人達が次々と慰めを語ろうとしますが、いつしかその言葉は、ヨブへの非難、自分の考えをヨブに認めさせようとするヨブを苦しめる言葉へと変わります(4~37章)。

しかし、ついに沈黙していた主が力強くヨブに語られます(38~41章)。


そしてヨブは、「あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。・・・わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。」と主に応えます。

主は、正しく語らなかった友人達に対しても怒りますが、ヨブが友人達の為に執り成しの祈りを献げると、主はヨブを元の境遇に戻し、そしてヨブは以前にもまして、主に祝福された生涯を過ごしました(42章)。

エステル記

  • エステル記通読にむけて

月曜日  1: 1~ 2:23  王妃の交代とモルデカイの働き

火曜日  3: 1~ 4:17  ユダヤ民族絶滅計画とモルデカイの信仰

水曜日  5: 1~ 8: 2  エステルの働きとハマンとモルデカイの逆転

木曜日  8: 3~ 9:19 ユダヤ民族の救いと復讐

金曜日  9:20~10: 3 プリム祭の制定とモルデカイの栄誉

【エステル記について】

聖書の中で、女性の名前が書物のタイトルになっているのは、このエステル記とルツ記の2つだけになります。エステル記はルツ記と同じように、ヘブライ語聖書においては「諸書」に分類され、「メギロート(巻物)」と呼ばれる五つの祭日に朗読される書物の一つです。(雅歌:過越祭、ルツ記:七週祭、哀歌:アブの月の9日・神殿破壊記念日、コヘレト書:仮庵祭、エステル記:プリム祭)

エステル(ヘブル語名は「ハダサ」でミルトスの意)は、ペルシア帝国スサの町(ネヘミヤが滞在していたとされる町)に、捕囚民として住むモルデカイ(ベニヤミン族)の養女として育てられましたが、ユダヤ人でありながら、ペルシア王の王妃としての地位が与えられます。

1章では、なぜエステルが王妃になることができるのかを説明する物語として王妃ワシュティーの退位物語が語られますが、2章からはエステルの歩みと並行して、モルデカイの物語が続きます。異教の地で、主なる神のみを礼拝するユダヤ民族の試練にあって、王や権力に近い場所に置かれた二人が、ユダヤ民族の代表としてどのように行動し、どのように決断していくのかを知ることができる書物です。また同時に、ヨセフ物語やダニエル書にも共通する、主の摂理とご計画、主によって与えられている信仰と知恵が豊かに描かれている書物でもあります。

【プリム(Purim)】

 プリムとは、ユダヤ暦においてアダルの月の14日に挙行される春の祝祭である。この祝祭はその聖書的な根拠を与えているエステル記と密接に関連しており、おそらく、ペルシア時代に生じたのであろう。エステルの物語の中で祝われている祝日としてプリムが再現するものは、ユダヤ人のアイデンティティとユダヤ人共同体に対する帝国の脅威、その帝国の脅威に対する勇ましくて巧妙な抵抗、ユダヤ人の驚くべき救出と名誉の回復である。プリム祭は、ユダヤ人の運命を決定した「くじ(ヘブライ語でPur)」を投げることからそう名付けられており、シナゴーグにおけるエステル記の朗読は当然なくてはならぬものとなっている。しかしながら、そのようなことを通り越して、この祝祭は解放されたユダヤ人のアイデンティティと自由を思う存分祝い喜ぶカーニバル気分を誘い、行為で表現する・・・。

比較的後代にユダヤ暦に入れられたこの祝祭は、ペルシア時代にユダヤ教が直面した脅威を映し出しているが、より広い視野で見れば、それはユダヤ人共同体が絶えずさらされていた支配的文化の脅威を映し出している。従ってプリムとは、ユダヤ人のアイデンティティが完全に解放されてもう恐れる必要がなくなった現実を、十分かつ公に明らかにするべく定期的に祝われる祭典であり、ユダヤ人のアイデンティティを抑制し制限し黙らせることを拒絶し、慣習的な政治的要請や社会的期待に服従させられることを拒絶する祭典なのである。(ブルッゲマン、388頁抜粋。)

【エステル記4章から】 「『この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。』エステルはモルデカイに返事を送った。『・・・私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。・・・私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。』」 

今週のみことば

  • ネヘミヤ記

月曜日  1: 1~ 4:17  エルサレムの城壁調査・妨害・再建

火曜日  5: 1~ 7:72  エルサレムの城壁再建の問題と完成

水曜日  7:72~10:40  エズラの説教と宗教復興

木曜日 11: 1~12:47 帰還した人々の再定住

金曜日 13: 1~13:31 ネヘミヤ不在時における悪習と規定の回復

【ネヘミヤ記について】

 ネヘミヤ記は、バビロン捕囚後のエルサレムの再建とユダにおける礼拝の復興を語るエズラ記の物語の続きの書物ということができます。エズラはバビロンから帰還しましたが、ネヘミヤはバビロンから約300km離れたスサという大都市から、エズラの帰還の約13年後の紀元前445年頃に帰還したと考えられています。

ネヘミヤは、アケメネス朝ペルシャの王であるアルタクセルクセス王に献酌官として仕えていたので、帰還の必要はありませんでしたが、ユダの人々の不幸に心を痛め、ユダの町の再建の為に、王の許可と便宜を受けて、ユダヤ属州の総督として派遣してもらいました。ネヘミヤは多くの困難に直面しながらも、主に祈りつつ、民が主に従うことができるように心と力を尽くした人物ということができます。

【仮庵(かりいお)祭(さい)・スコット】

仮庵祭は、過越祭、7週の祭りと共に、ユダヤ教3大祭の一つで、現在も大切に守られているお祝いです(レビ記23章参照)。大贖罪日(ヨム・キプール)の5日後から7日間、庭にスカーという仮小屋を建ててお祝いします。
 スコットとはスカーの複数形で、これはユダヤの民がエジプトから脱出し、荒野を旅した時代に、 仮庵に住んだことを記憶する祭りです。
エトログ(かんきつ類の果実)、ルラヴ(シュロの葉)、ハダサ(ミルトスの花)、アラボット(柳の一種)が飾られ、 スカーの中で食事をしたり寝たりして楽しく過ごします。・・・ そして、この祭の8日目にはシムハット・トーラー(トーラー歓喜祭)を行い、1年の朗読のサイクルが終わったことを感謝します。 シムハット・トーラーは、ディアスポラ(イスラエル以外の土地)では9日目に祝われます。

http://www.zion-jpn.or.jp/israel_culture02.htmlより引用。)

【タルグム】

ネヘミヤ記8章の7-8節において、「律法を民に説明し・・・神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた・・・」という一文が記されています。つまりヘブライ語で聖書が読まれると同時に、その意味が分かるような形での説明があったということです。私たちにとっての説教と少し似ていますが、これはタルグム(=狭義ではアラム語訳聖書の意)であったのではないかと言われています。捕囚後、ヘブライ語の理解が難しくなった人々のために、聖書朗読の時には、人々の日常言語であるアラム語翻訳が一緒に朗読されていたと考えられているのです。そしてタルグムは、聖書の直訳だけではなく、独自の解釈が含まれた書物であったと考えられています。紀元前の時代から、聖書は全ての人に理解されるように読み伝えられていることを覚える時、時代を超えて、私たちにも日本語訳聖書や、沢山の聖書を理解するための書物が与えられていることに深く感謝したいと思います。

【ネヘミヤ記8章より】

「・・・民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。・・・彼らは言った。『今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。』」

今週のみことば

★ エズラ記

月・火曜日 通読予備日       

水曜日  1: 1~ 2:70 捕囚からの帰還

木曜日  3: 1~ 6:22 神殿の再建

金曜日  7: 1~10:44 エズラのエルサレム帰還

【エズラ記について】  歴代誌上下は捕囚までの歴史が記され、捕囚後の時代をエズラ記・ネヘミヤ記が記しています。また「キュロスの勅令」が歴代誌下の終わり(歴代下36:22-23)とエズラ記の始め(エズラ1:1-4)に記されていることから、この書物は、もともとは一つの作品であったとも考えられています。  エズラ記は捕囚からの帰還とその民のリスト、神殿の再建と奉献の様子、エズラの帰還と捕囚後の共同体の創設について記されています。

【残りの者】  「残りの者」とは大惨事の後の生存者を指している。その概念は旧約聖書にときどき見出されるが、たとえ文献の周縁にあるとしても非常に重要である。自然なものであるにせよ、政治的軍事的なものであるにせよ、そのような大惨事はテキストの中では特徴的に神の怒りと審判に関係している。 災渦の後に残る者を予期することは、幸福や満足の文脈で述べられる場合には、不吉な脅威である。そのような用法では、現状が必ずYHWH(主)の審判の下で容赦なく崩壊させられる。こうした「残りの者」の使われ方が意味するのは「残りの者だけ」が生き残るということであり、それ以上ではなくて、今生きている幸福に暮らしている人が全員生き残るのではないということである。・・・ しかしながら、同じ言葉がまた肯定的な保証として機能することもある。つまり、審判の厳しさにもかかわらず、YHWHの憐れみと思いやりのゆえに、生き残るものがいるというわけである。神がその怒りを制限して、破局から保護した者がいるので、その破壊は完全なものとならないのである。・・・  残りの者という概念の両側面、すなわち否定的な側面としての審判と肯定的な側面としての保証が明らかにするのは、この世における生は暫定的で不安定であるということと、この世における生が良くなるか悪くなるかは神の意思に大いに依存しているということである。「残りの者」とは、すべての神の民の将来を最終的に決定するYHWHの審判や憐れみについて伝える手段なのである。  従って、残りの者という概念は、神の民の将来を確実に神の支配の中に置くので、極めて強く神学的なものである。その用語には社会学的イデオロギー的な影響力もある。前6世紀と5世紀に捕囚から帰還した小さなグループは、自分たちのことを神に愛され命を助けられた残りの者であって、そのためにイスラエルの古い伝承の唯一の正統的な伝達者であると理解していた(ハガ1:12-14, 2:2, ゼカ8:6-12)。イザヤ書中のいくつかの後代のテキストでは(イザ1:25-26, 4:2-4)、エズラ記の伝承(エズ9:8-15)と同様に、残りの者とはかなり特別な共同体のための自己理解や自己識別の手段である。この共同体は自らが、トーラーの命令に純真かつ厳格に従って生きるべき存在であることを知っている。このような民が、後に「敬虔なる者(ハシディーム)」として現れた人々、すなわち神の憐れみによって生き、喜んで従順に応答しようとする人々なのである。・・・ w.ブルッゲマン『旧約聖書神学用語辞典』小友聡/ 左近豊監訳、 日本キリスト教団出版局、2015、363-364頁より抜粋。

【エズラ記9章、エズラの祈りから】   「わが神よ、…わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。…わたしたちは、数々の大きな悪事と罪科のゆえに受くべき艱難をすべて受けましたが、わたしたちの神、あなたはわたしたちの重い罪悪をもそう重く見ず、わたしたちをこのように生き残らせてくださいました。… イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」