2024年2月18日の説教要旨 出エジプト17:3-7・ヘブライ4:12-16

            「主の声を聞く」         加藤 秀久牧師

*はじめに

 私達は、日々の生活の中で、心を静めて神様の言葉(聖書・他)を読んだり、聞いたり、祈ったりする時間を持てているでしょうか? 

又、私達の心に心配ごとや、かき乱されるような出来事に遭遇したり、あるいは、これからの自分の人生、歩みはどうなるのかなどの心配をして眠れない日々が続くようなことがあるかと思います。

*神様の安息

 本日の、ヘブライ書4章には、神様の安息のことが告げられています。

特に11節には、「だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません。」と記されて、私達が熱心に努力するのは、神様が与えて下さる「安息に入るため」、神様の安息を自ら経験するため、そして不従順の例に倣って堕落する者が一人もいないようにするためと説明しています。

神様との交わりをもつことにおいては、私達は頑張らなくてもよく、神様は私達との交わりをもつため、すでに必要な居場所を作って下さっているので「安心してわたしを信じ、わたしと交わりの時を持ちましょう!関係を築き上げましょう!」と言って下さっていると思います。

*メリバの水(出エジプト記17:7)

 本日の出エジプト記では、エジプト脱出後カナンへの荒れ野の旅の途中、飲み水がなく、不平不満で「つぶやき」、民は指導者モーセと争いになり、モーセは石で打ち殺されそうになりました。この民たちの「つぶやき」は、その後、彼らを40年間の放浪の旅となり、最終的には第一世代の者達は約束の地カナンに入ることは出来ませんでした。彼らは、導かれる唯一の神様ではなく他の神々に心が奪われ、仕える失敗も繰り返しました。そうならないためには自分自身を知り、何事も正しく見極めていく心を整えておくことが大切です。その為の必要な道具は、神の言葉・聖書にあります。

*「神の言葉は生きており、どんな両刃(もろは)の剣よりも鋭い」神の言葉は剣よりも鋭く、精神と霊、関節、骨髄、を切り離すほどに刺し通して心の思いや考えを見分けることが出来る」(ヘブライ書4:12)。 

私達人間の体は関節、骨髄、精神、霊および心の思いや考えがありますが、私達にはどこからどこ迄が関節で、どこ迄が骨髄かは分からず、又、心にも色々な考え方や思い、感情があり、それらは私達人間から出たものなのか、神様から出たものなのか、悪魔による働きから出たものなのか...その判断は人によって違い、その分かれ目もはっきりしません。ですから私達が勝手な判断で、考え違いをしてしまうことが起こり得ます。そのような時、私達は神様の前に静まり、神様と交わり、神様の言葉に耳を傾けることで、私達は正しい方向へと歩むことが出来ます。13節に「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたし達は自分のことを申し述べねばなりません」とあります。

*偉大な大祭司・神の子イエス・キリスト(ヘブライ書4:14~)。

「祭司」は、民が神様を礼拝し神様に近づくために仲介の務(つと)めを果たし、中でも上に立つのが大祭司でした。イエス様は私達のために、神様との間を取り持つ大祭司として神様からこの世に遣わされ、私達と同じ試練に遭われました。そして私達の罪を赦(ゆる)していただく為に十字架で死なれ、神様によって復活し昇天され、今は最も権威ある天の父(神)の右の座に着かれて私達に聖霊を送り、今も私達の為にとりなして下さっています。私達の心に心配ごとや、かき乱されるような出来事が起こった時、あるいは現状に対する不平不満やつぶやきが生まれた時、神様は、全ての人達と関係を持ち、神様がいつも共にいることを知って欲しいと願っていますので、私達が神様に聞くようにと、あえて私達を厳しい場所に置くことがあるかも知れません。しかし私達は偉大な大祭司をもっているという確信こそ、全ての持てる中で最も素晴らしいものです。この大祭司のおられる恵みの御座から、信仰によって神様からの安息と祝福がもたらされることを今一度、心に留めたいと思います。