- コヘレトの言葉通読に向けて
月曜日 1: 1~ 3:22 神なしの人生の無意味さ
火曜日
水曜日 4: 1~ 8:15 神なしの人生の無益さ
木曜日
金曜日 8:15~12:14 神なしの人生の不確かさ
【コヘレトの言葉について】
コヘレトの書は、神なしの無意味さと聖書的信仰の欠如から不可避に生じる完全な絶望と冷笑的な見方についての力強く説得力のある注解と理解するのが最も良い。これは、神なしの人間の生活の惨めさと不毛さをさまざまと描いて見せ、神を完全に明らかにすることは人間の知恵にはできないのだということを表している。
この書は、人生の無意さを語る劇的な宣言で始まる(1:2)。これは、あらゆる種類の出来事の分析で例示される(1:3-11)。すべてのものの意味は何なのか。死は人生を終わらせ、かつて生きていた者の記憶を消してしまう。このようでは、なぜ生き続ける意味があろう。キリスト者にとっては、これらの極めて陰鬱で荒涼とした言葉はイエス・キリストにおける永遠の命への復活の希望に超越される。コヘレトの言葉は神なしの人生がどれほどにまったく希望のないものか、私たちに理解させるようにその苦悶を描き出している。
人間の知恵が何になるのか(1:12-18)。楽しみが何になるのか(2:1-16)。何かに苦労して何になるのか(2:17-26)。すべてまったく無益である(3:1-22)。しかし、これらの言葉を読むキリスト者は、喜びと共に復活の希望と、それがもたらす目的と平安の感覚に戻るであろう。
(マクグラス、273-274頁より。)
コヘレトという言葉は、「召集する」という意味のヘブライ語であり、そこから「召集するもの」、「集会で語る者」の意味に解され、「伝道の書」とか「伝道者の書」という訳がなされてきた。「コヘレトの言葉」という書名は、コヘレトを固有名詞と見なしたものである。「エルサレムの王ダビデの子」というのは、ソロモンを指すと考えられるため、箴言とコヘレトと雅歌はソロモンのものとされているが、表題は象徴的なものとも考えられている。
「箴言」は知恵と倫理の重要性を説き、「ヨブ記」は不条理の現実を問題としているが、不条理を単に運命として忍従するのではなく、その背後にある隠された神の意志を問い詰める誠実さが称えられている。そのためコヘレトの言葉に接した場合、戸惑いを感ずる読者は少なくない。しかし、コヘレトの知恵は鋭く、また人生体験に裏打ちされた深い知恵と見るべきであり、表面上の矛盾を性急に批判したり戸惑ったりするのは誤りである。
(木田献一監修「新共同訳 旧約聖書略解」日本基督教団出版局、2001年、706頁より。)
★コーヘレトは、ギリシャ語で「教師」の意味を持ち、ルターは「伝道者・説教者(Prediger)」と訳している。
【1ペテロ1:13-21】
「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。・・・
あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは・・・きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。・・・あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。