2021年4月4日の説教要旨 詩編30:2-6・ヨハネ福音書20:1-18

「復活の日」     加藤秀久伝道師

*はじめに

 詩編30-32編には、病を癒された人の歌が取り上げられています。

2節の「あなたをあがめます」の元の言葉では「高くする」の意味があり、詩編作者は、自分自身が苦しみの中から「引き上げ」られたと、主を高くしています。「引き上げて」は本来井戸から水を引き上げる、救い上げる時に使う言葉です。神様を讃美することは、神様を高くする、崇める、礼拝する行為であり、神様は私達を苦難の中から、まるで井戸から水をくみ上げるように、一人一人を救い上げ助け出して下さることが述べられます。

 私達は神様を信じることにより、どんな時にでも神様の名前を呼び、助けを求めることが出来ます。そして私達が神様の名前を呼び、助けを求めることで、神様は私達の方へと近づいて来て下さり、苦しみや悲しみの中にある者達を日の当たる明るい世界へと導き、救い出して下さるお方です。

墓穴に下ることを免れさせ 私に命を得させて」(4節)

元の言葉では、「墓穴に下る者達の中から、あなたはわたしを生かした」となります。詩編の作者は、自らが墓穴に下るべき者であることを自覚していました。そして「ひと時、お怒りになっても命を得させることを御旨として下さる」(6節)と、作者自身の行為が神様の怒りを招いたことも認めます。さらに私達の命は、神様の御心、お考えの中にあることを述べて、神様は「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」(同)お方で、私逹にとって、かけがえのない存在になっています。私達は、神様を信じて、受け入れ、罪赦されて救われなければ、神様に対する喜びの心と感謝の心は持てないと思います。

*マグダラのマリアとペトロともう一人の弟子

本日のヨハネ福音書では、週の初め、イエス様がお墓に埋葬されて三日目の日曜日朝早く、ようやく辺りが暗闇から光が照らし始め、明るくなりかけた頃、マグダラのマリアがイエス様の遺体が納められているお墓に行き、封印されていた石が取りのけられ、遺体がなくなっていることを知り、走ってペトロともう一人の弟子に知らせたことが記されています。二人の弟子も一緒に走り、お墓から遺体がなくなっていることを確かめます。かつてイエス様が、「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」(ヨハネ16:16)との御言葉が実現しようとしていました。しかし二人の弟子達は、「イエスが必ず死者の中から復活されることになっている」という聖書の言葉をまだ理解していなかったとあります(9節)。それは、弟子達にはまだ聖霊が注がれておらず、彼らの内に聖霊が働いていないので理解出来なかったと思われます。

*復活されたイエス様

弟子達が家に帰った後もマリアはお墓の外で泣いていました。そしてお墓の中を見ると、イエス様の遺体があった所に白い衣を着た二人の天使がいました。「なぜ泣いているのか」と天使から聞かれたマリアは、「私の主が取り去られました」と答えながら後ろを振り向くと、そこに立っておられたイエス様を見ます。しかしマリアは園丁だと思い、遺体場所を聞きます。イエス様はマリアに、「マリア」と呼びかけ、マリアはその声でイエス様だと知ります。イエス様はマリアに、これからご自身は父なる神様の所に上(のぼ)られることを告げ、そのことを弟子達にも知らせるように命じられました。マリアは誰よりも先に復活したイエス様に出会い、イエス様のことを宣べ伝える証人となったのでした。

*私達とイエス様

私達にも今日、復活したイエス様が現れて下さっています。神様は、私達罪人だった者を 罪の生活の中から救い出すために、愛する一人子イエス様を陰府へと下らせ、そこから救い上げ、助け出して下さいました。このイエス様に私達は希望を持つことが出来るのです。 神様は、私達がイエス様を信じて、受け入れ、従う決心をした時、私達を進まなければならない方向へ誘導し、私達を神様の計画した道へと導き、歩ませて下さいます。今日、復活したイエス様があなたの前に立ち、あなたの名前を呼んでおられます。あなたはこのことを信じますか。