佐藤義子 協力牧師
今日はご一緒に、主イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。
もし、イエス様が生まれていなかったら、ここに教会が立つことはなかったですし、この世界からクリスマスというお祭りも生れませんでした。それほど大きな出来事でした。
イエス・キリストはなぜ、お生まれになったのか、その答えが、今お読みした9節と10節に書かれています。
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神(かみ)は、独(ひと)り子を世にお遣(つか)わしになりました。
その方によって、わたしたちが生(い)きるようになるためです。
ここに、神(かみ)の愛(あい)がわたしたちの内(うち)に示(しめ)されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪(つみ)を償(つぐな)ういけにえとして、御子(みこ)をお遣(つか)わしになりました。
ここに愛(あい)があります。 (ヨハネの手紙一 4:9~10)
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イエス・キリストは、神様がこの世に遣わされたのであって、つかわした目的は、私達人間が生きるようになるため、と言っています。
神様は、私達の命の「創造者」であり、私達は、両親を通して神様に命を与えられた「被造物」です。ですから、私達が生きることも、又、死ぬことも、神様がお決めになることです。
私達は、肉体の身体だけで生きているのではなく、精神・心・魂も与えられて生きています。
私達が本当の意味で、生き生きと生きていくためには、どうしても神様の独り子であるイエス様が生まれて来なければなりませんでした。
神様は、私達人間を造られた時、神様に似せて造られたと聖書にあります。
似せて造られているのは、霊である神様と交わることが出来る「霊性」で、神様の語りかけに応える人格が与えられていることや、又、ロボットではなく自由意志が与えられていることなどが考えられています。自由意志を与えられた私達人間は、アダムとイブの話からわかるように、神様に従順に生きることが出来ず、神様の教えを聞いても耳を貸さず、自分中心に生きて、罪に罪を重ねる歴史を繰り返してきました。それゆえに、神様と人間の関係は断絶したのでした。
しかし、神様の、私達人間に対する愛は大きく深く、神様は、この断絶関係をいつまでも放置することはなさいませんでした。神様はついに、救いの道を計画されたのです。
わたし達人間社会でも、罪を犯せば必ず償いが求められます。そうでなければ「正義」は死んでしまうからです。神さまの、救いのご計画とは、「人間の罪のつぐないの道」でした。
人間の罪(神様を自分の造り主として認めず、その教えに従わず、自分中心に生きること)を借金という言葉に置き換えて説明しますと、人間の、神様に対する借金は莫大であり、神様から赦していただくためには、借金のない人が肩代わりして償わなければなりません。ところがすべての人間には借金があり、肩代わり出来る人はいません。もし、出来るとするなら借金のない人、いわゆる罪のない者が、人間のすべての罪を肩代わりして、神様から罪の赦(ゆる)しをいただくことです。
そのため、神さまは、罪のない神の子である独り子を、人間社会に送り出し、人間として誕生させることでした。この出来事こそ、おとめマリアが聖霊によって神の御子を宿して、イエス様の誕生(=クリスマスの出来事)への道が開かれていきました。
そして十字架の出来事は、すべての人間の罪のつぐないの肩代わりの出来事であり、それによって、信じるすべての者に、神様からのゆるしが与えられた出来事でありました。
先ほどの聖書の言葉:
<わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。>
と共に、毎週の礼拝で私達は次の御言葉を聞いています。
<神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。>(ヨハネ福音書3:16 )
今、世界は大きな戦争が起こっており、誰も止めることは出来ないでいます。国の指導者達が、神ではなく、自分が自分の支配者になっているからであり、本来、従うべき世界の創造者である神様の声を聞こうとしないからであり、平和が遠くなっています。振り返って私達が自分自身を見る時、戦争を嘆く一方で、家族、友人、知人、出会う人達と、いつも平和に暮らしているかと問われるならば、そこには自己中心のぶつかり合いや、愛すること、赦すことが出来ないでいる状況があることで、自分の弱さを知らされるのではないでしょうか。
私たちは、私達に命を与え、日々生かして下さる神様に目を向け、従うべきお方は、神様であり、神様の愛を伝えて下さっているイエス様であることを確認した時、新しい生き方が示されてきます。私達が生きる道は、この世の悪(神様から引き離そうとするこの世の誘惑などの力)の支配下にとどまらず、神様の支配下に移されて、神様からの光をいただきながら、少しずつ変えられていくのです。私達は、讃美歌や祈りを通して、聖書の言葉を通して、説教を通して、耳を傾ける時、そして従う時、神様から知恵や力、励ましや勇気と愛を、日々いただくことが出来ます。
今日、神様がイエス様を送って下さったその喜びを共に味わえることを、感謝して祈ります。
<祈り> 私達を愛し、守り、導いて下さっている 天におられる父なる神様。
今日こうしてクリスマスを祝うことが出来る恵みを感謝いたします。
私達が生きているこの世界には、多くの苦しみ、悩み、失望があり、どうしてよいかわからない時もあります。そのような時、私達はあなたに祈ることが出来ることを忘れることがありませんように導いて下さい。今日、この喜びを味わうことが出来ない世界中の方達に、一日も早く、平和が与えられ、国の責任を担っている人達が、神様の御心を求めて、知ることが出来、それに 従う決断へと導いて下さいますように、心からお願い致します。主の御名によって祈ります。