8月30日の説教要旨 「使徒選びと民衆への御業」 牧師 平賀真理子

イザヤ書65:8-10・ルカ福音書6:12-19

 はじめに

今日の新約聖書で、まず、心に飛び込んでくることは、イエス様が「祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(12節)ことです。神の御子として、神様の御心を本当によくご存じのイエス様が、徹夜で祈られたのです。神の御子がこんなに一生懸命祈られているのだから、罪の中に生まれ育った私達は、主に倣って、もっと一生懸命に祈るよう、努めていきたいと思います。

 祈りに対する神様のお答えを受けて

イエス様が宣教活動を始める前まで権力と名誉を持っていた「宗教指導者(ファリサイ派や律法学者)達」が、イエス様の噂を聞きつけて偵察に来ていました。彼らは、「ナザレ人イエス」が自分達の教えとは違うにもかかわらず、御言葉や御業が素晴らしいので、人々がイエス様を支持していることを身を持って知り、邪魔者だから殺すと決断したばかりでした。イエス様は、彼らの悪い計画を知りつつ、神様の御心がこの世に実現することを第一に考えて祈られたのでしょう。祈りは、神様からのお答えを聴くものでもあります。イエス様への神様からのお答えは、弟子達の中から「使徒」を選ぶことだと読み取れるでしょう。例の宗教指導者達の罪により、イエス様は御自身のこの世での時間があまりないと知っておられたのではないでしょうか。しかし、神様の御心=この世に「神の国」を造ることを実現するべく、御自分の働きを引き継ぐ者を任命して育てていくよう、神様からお答えをいただいたのだと思います。

 「弟子」の中から「使徒」を選ぶ

イエス様が「使徒」を「弟子」達の中から選んだことに注目したいと思います。イエス様の御言葉や御業に触れて従った者達の中からです。また、「弟子」という言葉には「学ぶ者」という意味があるのだそうです。主に従って学ぼうとする者の中から、御自分の働きを受け継ぐ者を選び出されました。「本物の弟子」になりたい私達は、主に従って学び続ける姿勢を貫くように期待されているに違いありません。

 「12使徒」とは

「使徒」をイエス様が選ばれたのは、「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」(マルコ3:14―15)でした。そして、12人を選ばれました。12という数にも意味があります。旧約聖書で、神様が御自分の民として選んだ人物は「アブラハム」です(創世記12章)。その息子が「イサク」、イサクの息子が「ヤコブ」です。そのヤコブには12人の息子が与えられ、イスラエルの12部族の長となりました。イエス様は父なる神様が神の国を実現するために12部族の長を置かれたという方法に倣い、「新しいイスラエルの民」の信仰のリーダーとして、12人を使徒として選んだのでしょう。これが主の徹夜の祈りに対する神様のお答えであり、イエス様はそのお答えに従われたのです。

 「12使徒」の特徴

12使徒一人一人の名前が挙がっていますが、彼らの群れとしての特徴は、「漁師」など一般庶民として、例の宗教指導者達からは低く見られていた存在だったことです。しかし、これは「身分の低い者を高く上げる(ルカ1:52)」と言われる「主」なる神様にはふさわしいことでした。12使徒の中で、11人は信仰を貫いて迫害を受け、そのほとんどが殉教したと伝えられています。ただ一人、「裏切り者となったイスカリオテのユダ」(16節)が、イエス様を裏切り、十字架に付ける罪に直接かかわりました。私達は、一度は神様の御業の継承者として選ばれた信仰者でも、祈りや御言葉によって神の御心を尋ね求めることを忘れれば、自己愛に走って神様を疑うようになり、裏切り者としてサタンに取り込まれて永遠に呪われる存在となってしまうことも肝に銘じて、信仰生活を送らねばなりません。

 「民衆への御業」

「使徒選び」をなさったイエス様は、山を下り、平地に戻られた直後も、多くの民衆の求めに応じて、御言葉と癒しの御業を惜しみなく注がれました。見返りを求めない「神の愛」ゆえです。それだけでなく、ユダヤ全地域や周辺地域からもやって来た群衆が主の御言葉と御業の恵みを受けたことによって、使徒達の後々の伝道の礎となったのです。主は、使徒達に先んじて、福音伝道のための備えもされていかれました。

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