11月1日の説教要旨 「百人隊長の信仰」 牧師 平賀真理子

箴言29:23・ルカ福音書7:1-10

 はじめに

百人隊長の信仰をめぐる話を読みましたが、この百人隊長は、イエス様に直接会っていません。同じ内容を記したマタイ福音書8章やヨハネ福音書4章では、イエス様に直接会って懇願しています。しかし、このルカによる福音書では、主に会わずに、重んじている部下の瀕死の病いを癒してもらっています。それが特徴です。イエス様に直接会っていないのに、心からの願いを叶えてもらいました。この百人隊長は私達と重なるところがあります。その信仰から学ぶべきところがたくさんあります。

 異邦人である百人隊長

「百人隊長」とは、ローマ帝国の軍隊組織の中での地位で、50~100人程の歩兵を統率する下士官です。その管轄する歩兵達に命令できる人であり、同時にまた、上にいる千人隊長(将校)から命令される立場にある人です。また、ローマ軍の組織をまねて、ガリラヤ地方を代官として治めていたヘロデ・アンティパスも軍隊を持っていて、「百人隊長」がいたようです。今日の話の百人隊長がどちらの軍隊の百人隊長だったかわかりませんが、重要なことは、この百人隊長が異邦人だったことです。恐らく、この百人隊長は、ユダヤ教を通して、本当の神様を信じるようになっていたようです。そして、神の選びを尊重し、神の民として選ばれたユダヤ人と、自分を含めた異邦人との間に違いがあることを自覚していました。だから、ユダヤ人であるイエス様に対し、神様から遠い異邦人の自分は直接会えないと思って、まず、ユダヤ人の長老達に願いを委託したのでしょう。

 ユダヤ人の長老達が百人隊長の願いを取り次ぐ

選民意識の強いユダヤ人の長老達が、軽蔑していた異邦人である百人隊長の願いを取り次いだ姿には、2つの驚くべきことがあります。1つは、異邦人の代わりに熱心にお願いしていることが、珍しいことだったということです。もう一つは、長老達の願いの相手が、彼らが歓迎していなかったイエス様だったということです。もちろん、この百人隊長が、ユダヤ教の教えを尊重し、それを奉じているユダヤ人達を敬愛して、ユダヤ教の会堂まで私財で建てたことが、ユダヤ人の長老達の心を動かしたのでしょう。けれども、もっと大きく考えれば、神様が、百人隊長の願いを通し、主に敵対する長老達に、イエス様を認めさせるように働きかけられたと見ることができます。

 「心の低い」百人隊長

頑ななユダヤ人の長老達さえ動かした百人隊長の願いを受けて、イエス様は彼の家に向かわれました。しかし、その到着を待たずに、再び、百人隊長は、自分の願いを友達に託したのです。自分は、本当の神様が救い主としてこの世に派遣された救い主イエス様に直接会いに行ったり、お迎えしたりする価値のない異邦人だとへりくだる思いからでした。その謙虚な思いこそが、主の祝福を受ける礎です。今日の旧約箇所でいうなら「心の低い人は誉れを受ける」ということでしょう。

 自らの職務から「主の権威」を知る百人隊長

更に、この百人隊長は、自分の職務=軍隊の命令を受けたら遂行する使命を担うことを知っていました。人間界における権威でさえ、そのように絶対的な権威を持つのであるから、天から遣わされた神の御子、救い主イエス様の権威は比べものにならない程、とてつもない大きいことを百人隊長は推測することができました。自分の仕事や役割から、神の国を思い描いているのです。この姿勢は私達も学ぶことができると思います。主の権威に服従することは当たり前、もっと言うと、喜びであると示されています。

 百人隊長の信仰と愛 

また、主から「部下は癒される」というひと言さえもらえれば、癒されると信じていることも素晴らしいことです。ユダヤ教(イザヤ書55章)で教えられている「主の御言葉は必ず実現する」ことへの絶対的な信頼=信仰が表されています。神様の前に謙虚な姿勢の百人隊長でしたが、また、同時に、ユダヤ人を愛して会堂を建てたばかりでなく、部下を重んじて、その癒しのために親身になって手を尽くした百人隊長の愛の深さも、ここに見ることができます。

 異邦人の信仰を喜ばれた主

主への絶対的な信仰を、イエス様は大変喜ばれ、百人隊長の願いを叶えてくださいました。主の救いは民族や場所や時間を越え、同じように私達にも与えられています。

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