5月17日 説教要旨 「イエス・キリストの昇天」 牧師 佐藤 義子

イザヤ書 55:6-13

使徒言行録 1:3-11

 

はじめに

本日の聖書、使徒言行録1章3節には、イエス様が十字架の苦難を受けられて死なれた後、三日目に復活され、ご自分が生きていることを数多くの証拠をもって使徒達に示し、40日にわたって彼らに現れたと記されています。

そしてこの後、天に上げられた出来事が続いて記されています。

イエス様が天に上げられたことを、「昇天」と言い、私達クリスチャンが神様のもとに召される「召天」とは区別されて使われています。

今朝は、復活されたイエス様が昇天される前に、弟子達に対して、何をなさり、どのような言葉を残されたのかを、ご一緒に学びたいと思います。

 

「生きている」ことを示された

先ず注目したいのは、イエス様が、ご自分が生きていることを弟子達に示されたことです。イエス様は確かに十字架で殺され死なれました。そしてお墓に葬られました。しかし「復活の命」を神様から与えられて、イエス様は生きたお方として40日にわたり弟子達の前に現れました。もう二度と死ぬことのない復活の命です。初めはイエス様の復活を信じようとしなかった弟子達でしたが、現実にイエス様を目の当たりにして、恐れながらも喜びに満たされて信じたことが福音書に記されています。弟子達はイエス様が確かに生きておられることをはっきり認識して、これから始まる、死に勝利されたイエス様の復活の証人としての準備が整えられていきます。

 

「神の国について話された」

第二に注目したいことは、イエス様が40日にわたり、何をされたかということです。3節には「神の国について話された」とあります。イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を授けられて、最初に宣教された言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:14)でした。イエス様は十字架にかかられる前の宣教の中でも、度々、神の国について、たとえを用いながら語られていました。そして今、神の元へと帰られる、この時まで、引き続いて神の国について話されました。

このことから、イエス様がこの地上に来られた目的の一つは、神の国について教え、伝えることであったことを知らされます。イエス様が生涯を貫いて私達に語り伝えようとされた「神の国」とは何でしょうか。

 

「神の国」

神の国とは神様のご支配です。「神の国は近づいた」という意味は神様のご支配が、イエス様の到来と共に、その宣教と業において、今、ここに来りつつある、ということです。ある神学者はこのように表現しています。「太陽が、まだ地平線に現れなくても、暗闇が次第に消えて、空が白んでくるのにたとえられる」と。

イエス様が来られた目的のもう一つの使命には、ある決定的な出来事の遂行がありました。それが「十字架の死」です。イエス様の十字架は私達のすべての罪を、イエス様がご自分の罪として引き受けて下さり、その罪に対する報いとしての刑罰の死でもありました。罪のないイエス様が十字架で血を流された、その死により神様は私達のすべての罪を赦して下さった!このことを信じる時、私達に、悔い改めて福音を信じる信仰が与えられ、神様のご支配が私の生活の中に入ってくるのです。

使徒達への命令

復活されたイエス様は、「エルサレムから離れずに、神様が約束されていた聖霊を待つように」と命じられました。

「聖霊」はイエス様が十字架にかかられる前に約束されたものです。イエス様が昇天される時、使徒達はイスラエルの国の再建について尋ねましたが、イエス様は、イスラエル再建の時とか時期については、「あなたがたの知るところではない」と答えられ、神様に全権を委ねるべき事柄をわきまえるように教えられました。そしてそれよりも、使徒達にとって最も大切なことを宣言されたのです。それは「あなたがたの上に精霊がくだると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

私達が、この山田の地で、神の国の福音を聞ける大いなる恵みは、この言葉から始められたのです。私達はこの福音の、継承者とされています。