5月24日 説教要旨 「聖霊を注がれた者」 牧師 平賀 真理子

ヨエル書 3:1-5

使徒言行録 2:22-36

 

はじめに

本日は、聖霊降臨日礼拝(ペンテコステ礼拝)を献げる日です。主の復活後に起こった「ペンテコステ」の出来事と意味を学びたいと思います

ペンテコステの出来事

私達の主イエス・キリストは十字架にかかって亡くなったのですが、その後3日目に復活し、弟子たちの前で、復活の御体のまま、食事をされたり、神の国についてのお話をされました。これについては、多くの証人がいました(Ⅰコリント15:3-8)。ナザレの人イエスと呼ばれた主の復活は、重要な弟子達である「使徒達」だけによる作り話や幻想ではなくて、500人もの弟子達も体験したという客観的な事実であったわけです。復活顕現の40日間の後、イエス様は、使徒達の前で天に昇られたと使徒言行録1章9節で証しされています。更にその後、即ち、主の最初の復活顕現から50日目の「五旬祭」の日に、「ペンテコステ」の出来事が起こりました。「ペンテコステ」とは、ギリシア語で「50番目の」という意味があります。元々イスラエルの民は、過越祭直後の安息日から50番目の日に小麦の収穫を感謝する祭りを行ってきました。後に、この祭りの日には、モーセが神様から「十戒」を授かったことを記念するようになりました。それに因んで、「五旬祭」には天が開かれて、そこから新しい掟が降りてくると考え、前夜から一睡もしないで、天を見つめて、どこかが開くのを待っている人々も多くいたようです。この日の朝、主の弟子達は心を合わせて祈っていました(使徒言行録1:14)。そこへ、激しい風のような音が天から聞こえ、弟子達の居る家に響き渡ったのですから、エルサレム中の人々が集まってきたのも無理はありません。人々が見たのは、炎のような舌が分かれ分かれにに現れ、弟子達一人一人の上にとどまったという様子です。「炎のような舌」と表現されたものこそ、主が十字架にかかられる前に約束された「聖霊」だったのです(ヨハネ福音書14章~16章)。「聖霊」を受けた弟子達が自分達で習得したのではない様々な外国語で、神の偉大な業を語りだしたということは、「炎のような舌」が「聖霊」であることの何よりの証しだと言えます。「聖霊」とは、「神様の霊」です。聖書で証しされる神様は、御子イエス様を救い主としてこの世に遣わされ、救いの御業を託されました。神の偉大な業とは、イエス様による救いの御業、つまり主は十字架によって罪深い人間の罪を贖い、そのことによって父なる神様がイエス様に「復活」という栄光を賜り、それを信じる者が救われるということです。神様の御心である「人間への愛」によるものです。それを「炎のような舌」と表現された「聖霊」が、さまざまな言葉で語ったというのが、「ペンテコステの出来事」の概要です。

 聖霊を注がれた者としてのペトロの説教

「聖霊」を注がれ、神の偉大な業を聖霊によって語り出した弟子達の中でも、主の一番弟子だった「ペトロ」が、最初に、力強く行ったことは、人々に説教することでした。まず、「ペンテコステ」の出来事は、旧約聖書で預言された「終末の日」の中の「主の霊」が注がれることの実現だと宣言しました。そして「主の霊を注ぐこと」が出来るのは、神様の計画によって十字架で死んだ後に復活し、天に昇り、今や神と同じ地位にいる「救い主」しかできない、それが、イエス様であることを証ししました。敬愛されているダビデ王の子孫から生まれる「救い主」とは、イエス様以外にあり得ないと説教したのです。特に、ペトロが、この説教で強調したのは、「神様が遣わされた『救い主イエス・キリスト』を、御計画とは言え、イスラエルの民は十字架につけて殺したのですよ、その罪はどんなに重いのか、気づきなさい。」ということです。この説教を聞いて心打たれた人々は、ペトロに、今後のとるべき行動の指示を仰いでいます。主の十字架の出来事の直前では人々から逃げ隠れしていたペトロでしたが、今や、ペトロに教えを請うています。これは、聖霊を注がれた結果、ペトロを通して、聖霊が働き、人々を救うために説教する力を与えてくださった証しです。十字架を前にイエス様を裏切ったにもかかわらず赦された経験を持つペトロは、主に赦されて聖霊を注がれ、新たにされる恵みを心底知っていました。だから、自分の罪を悔い改め、イエス様の御名による洗礼を受けて、罪が赦され、聖霊を受ける恵みを説教するために主に用いられたとも言えます。この説教により、3千人の信徒が生まれ、「教会」が誕生しました。彼らにだけでなく、信じる者達に、主は聖霊を注いでくださいます。イエス・キリストを頭とした教会(主の体)の一部を担えるように、私達にも聖霊を注いでくださるように主に祈り求めましょう。