6月7日の説教要旨 「宣教の収穫を求めて」 平賀真理子牧師

エレミヤ書16:16-21

ルカ福音書4:42-5:11

 

はじめに

本日の新約聖書の箇所は、2つの段落から成っています。出来事としては大きく2つに分かれますが、イエス様が最も大事になさったことにおいて、一つだとも言えます。それは、福音宣教を第一とするということです。

イエス様の使命

前半の段落(4:42―44)から、イエス様は人里離れた所で、父なる神様に祈っておられたと思われます(マルコ1:35)。神様から愛と力をいただき、前日の癒しの業の疲れを癒し、そしてまた今後歩むべき道を神様から示していただくために祈っておられたのではないでしょうか。主は御自分の使命をはっきりおっしゃいました。それは、神様が御自分の民として選ばれたユダヤの民を救うために、神の御子であるイエス様がユダヤ中を巡り歩き、「神の国の福音」を告げ知らせることでした。

「神の国の福音」

イエス様が宣べ伝えた「神の国の福音」とは、具体的にはどういう内容なのでしょうか。まとめるとだいたい、次のようになるでしょう。「神様はその本質である愛ゆえに、人間を篤(あつ)い思いで愛されており、罪におちた人間を救おうとされていること、(旧約)聖書に預言されている『救い主』がイエス様であること、神様から離れている今までの生活を悔い改めて『救い主』イエス様の教えに従うことにより、人間は神様と繋がって生きることができ、本当の幸せになれる」と。

主に再び出会うシモン

後半の段落(5:1-11)によると、押し寄せてきた大勢の群衆を教えるためにイエス様が乗った船の持ち主が、シモンでした。彼は、自分の家で姑や大勢の病人の病をイエス様が癒された御業を数多く見ました。イエス様の癒しの御言葉が現実になっていくのを、たくさん見たのです。イエス様の御力を凄いとは知っていたでしょう。しかし、それまでの出来事は、再び出会ったイエス様は、漁師であるシモンに向かって、「これから自分の言葉に従って漁をしなさい」と御言葉をかけられました。主の御言葉が、今度は自分に注がれました。ルカ福音書によると、シモンは、イエス様の御言葉の凄さを既に知っていたので、「あなたのお言葉ですから」と素直に従ったのです。

主の御前にひれ伏したシモン

シモン本人の上に、神の御子イエス様の御言葉が現実となる「神の御業」がはっきりと示されました。漁師の彼らが前の夜から行っていた漁では魚は全く取れなかったのに、イエス様の御言葉に従った時、大変な量の魚が捕れました。これを見たシモンは神様の前にもはや逃れることができない自分を見出したのでしょう。そしてイエス様の御言葉や御力を目の当たりにして、自分は神様にふさわしくない者だとの思いが沸き起こり、御前にひれ伏し、「罪の告白」をし、それ故に、今度はイエス様を「主よ」と心の底から受け入れることができました。神様の前にひれ伏して「罪の告白」をし、イエス様を主と受け入れるということを、素直に、すぐ行っている、ここにこそ、シモンが神様に愛される理由を垣間見ることができます。シモンはイエス様からペトロ(「岩」という意味)という呼び名をつけられ、愛されました。また、10節の「あなたは人間をとる漁師になる」というイエス様の御言葉どおり、神様によって招かれている人々を導いて「神の国の民とする」という役割を担い、果たしていくことになりました。具体的には、この世での「神の国」の前線基地である「教会(主を信じ従う群れ)」を導くリーダーとして用いられたことが、使徒言行録にも証しされています。

すべてを捨てて従う弟子達への祝福

この漁の奇跡を体験した3人の漁師達は最初の弟子達となる恵みを受けましたが、「すべてを捨ててイエスに従った」(11節)ことが重要です。さて、私達はどうでしょうか。福音の素晴らしさを知らされていても、自分の持っているものをすべて捨てることは、大変難しいことです。けれども、今まで持っていた物や財産や、その多寡に頼るこの世の価値観では、神様に繋がる本当の幸せを得ることはできません。私達は教会に来て、福音を聞き、主の救いの御業を知らされたので、主に繋がりたいと望んでいます!「宣教の収穫」として、3人の弟子達と同じく、私達も、主が求めた「宣教の収穫」とされます。実に大きな恵みです。それに応えて「良い実である」と主にほめていただけるよう、歩みたいものです。

 

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