6月14日の説教要旨 「岩の上に立つ教会」 平賀真理子牧師

詩編73:21-28

マタイ福音書16:13-20

はじめに

本日、仙台南伝道所の開設11周年記念感謝礼拝を献げることができ、今までの神様の恵みに感謝いたします。12年目の歩みに向けて、今日の聖書から、主の体の教会として立ち続けるために御言葉を学びましょう。

フィリポ・カイサリアの地方で

イエス様が福音宣教の拠点とされていたガリラヤ湖畔から、北東に40km離れたフィリポ・カイサリア地方は、ユダヤ人の心の故郷であるヨルダン川の源がある所でした。にもかかわらず、この土地は3つの意味で、聖書で証しされた神様とは敵対する神々で満たされていました。1つは、「バアル」という偶像崇拝の神々が祭られていたこと。2つ目は、ギリシア神話の神々の故郷とされ、その祠があったこと。3つ目は、ローマ帝国の皇帝の偶像を神として祭る神殿が建てられていたことです。このような異教の神々を祭っている地方の只中にあって、本当の神様の拠点(教会)を形成するために、イエス様は弟子達を教育し、御自分の十字架の死後、弟子達に福音宣教の御業を引き継がせる必要を切実に感じておられたのです。

弟子達はイエス様を何者だと思っていたのか?

この世での「神の国」の拠点としの教会を形成するにあたり、その礎となる弟子達が、まず、ご自分のことをどう理解しているか、イエス様は確認されたかったのでしょう。その核心の質問に入る前に、その周辺から聞き出しておられます。「人々は人の子(新約聖書でイエス様が御自分を表す表現)のことを何者だと言っているか。」弟子達の答えは、このマタイ福音書では具体的に4つ挙げられています。どれも当時のユダヤ人達が尊敬していた人の再来といえる優れた力を持った人間という意味です。人々はイエス様を尊敬しましたが、人間という枠の中でのことです。

弟子達への質問「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」

この質問には、2つのキーワードがあります。1つ目は「言う」という言葉です。聖書の世界では、「言う」=「言葉を発する」ことを実に大切に考えます。「言葉を言う」とは、その内容を確信し、実際にそのとおりになると信じることを意味します。聖書の世界の人々は、言葉に対する信頼が私達よりずっと高いのです。2つ目は「あなたがた」という言葉です。弟子達が複数いたから、このように表現されたのであって、「あなたはわたしを何者だと言うのか」と一人一人に尋ねておられるのです。私達も同じです。一人一人「イエス様を主と信じた者」が、集められた群れが「教会」です。

ペトロの信仰告白

イエス様の弟子達への質問に対して、シモンが受け止めて答えます。「あなたはメシア、生ける神の子です。」「メシア」とは、「聖書の神様」が人間に送ってくださるという「救い主」のことです。罪におちた人間の罪を贖って、神様につなげてくださる御方です。「メシア」は人間ではなく、神の領域の御方です。だから、シモンの答えは、人々の答えとは一線を画しており、イエス様が本当に求めていた答えでした。また「生ける神」という言葉も大事です。なぜなら、異教の偶像で表される神々と違い、「聖書の神様は、御心に適う人々を救うために実際に働きかけて助けてくださる神様」と神様の御性質を言い得ているからです。

神様の働きかけによってなされる「信仰告白」

但し、シモンの信仰告白を、イエス様は「わたしの天の父による」ものだとおっしゃいました。直後の段落から見ても、シモン自身は、イエス様を救い主と深く理解していたのではないと思われます。それでも、神様の助けを受けながら、シモンが御自分を「救い主」と信仰告白したことをイエス様は祝福されました。

 「ペトロ」に続くように期待されている私達

この告白を受けて、イエス様はシモンに新しい名前を付けられました。その名前「ペトロ」は「岩」という意味です。聖書の神様への絶対的な信頼を表現する言葉として、「神は岩」と聖書には数多く記されています。その意味を持つ名前をシモンに付けられました。イエス様がいかに「ペトロの信仰告白」を喜ばれたかがわかります。ペトロへの主の御言葉「この岩の上に教会を建てる」とは「信仰告白したペトロの上に教会を建てる」という意味です。私達に一昨年与えられた教会堂の献堂記念の碑に「土台はイエス・キリストである(Ⅰコリント3:11)」とあります。その主が、教会の最初の礎の石としてペトロを堅く据えたと宣言されたのです。私達もペトロに続く者として期待されています。「あなたがたも生きた石として、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。」(Ⅰペトロ2:5)