2020年6月14日の説教要旨  イザヤ書 65:1-7・マルコ福音書 5:1-20

「罪からの解放」   加藤 秀久伝道師

*はじめに

イエス様は、向こう岸に渡る途中、湖の荒れ狂う嵐を弟子達の前で静め、向こう岸に着く前に、信仰を持って心を整え、準備しなさいと弟子達を励まされました。向こう岸のゲラサ人の地方は異邦人が住む悪のはびこる町(世俗の生活)ともいえる場所でした。イエス様が舟から上がられると直ぐに、汚れた霊に取りつかれた人がイエス様の行く手をふさぎました。彼は墓場を住まいとし、昼夜関係なく墓場や山で奇声を上げ、自分の身体を石で傷つけ、あまりに凶暴さに足枷や鎖でつながれましたが、その度に、鎖を引きちぎり足枷も砕くので彼を縛っておくことは出来ませんでした。

*汚れた霊

汚れた霊は、人の心と身体、考え方など隅から隅まで入り込んで、彼を操っていました。現代の私達の社会でも、汚れた霊が人々の心の中に住み着き、その人の人格が変わってしまうということは起こり得ることです。汚れた霊はいつも誘惑する機会を探し、人々を滅ぼし殺そうとしている悪魔・サタンそのものです。 私達は神様から一人一人愛されている存在なのに「あなたは価値がない、この世にいなくても良い存在」と、否定的な声をかけてくるのはサタン・汚れた霊の仕業です。

*「汚れた霊、この人から出て行け」

イエス様が、このように言われると、汚れた霊は、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。(6節・マルコ1:24 参照)」と、大声で叫びました。

汚れた霊は、イエス様を神の子であると見抜き、走り寄り、ひれ伏し、自らを守ろうとして「かまわないでくれ。苦しめないでほしい」と、懇願したのです。目に見えない霊の世界・闇の世界に住む者達が、この時すでにイエス様が神の子である、と知っていたとは大変驚くべきことではないでしょうか。汚れた霊は、自分達をこの地方から追い出さないでほしい。豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願いました。イエス様がお許しになったので、汚れた霊は取り憑いていた人から出て豚に入りました。

二千匹ほどの豚の群れは崖を下り、湖になだれ込み、おぼれ死にました。汚れた霊が、どのような力を使って他の者の言動をおさえつけたとしても、神様は、悪魔の行動を押さえつけ、代わりにご自分の栄光のために良い方向へと導いて下さることを、この出来事は証明したのでした。

*ゲラサ人の地方の人々

豚飼い達は逃げ出して町や村でこの出来事を話し、聞いた人達はやって来て、悪霊に取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て恐ろしくなり、イエス様にその地方から出て行ってもらいたいと言いだしました。人々は、悪霊に取りつかれた人が主イエスとの出会いによって大きく変えられたということよりも、彼らの財産である豚が犠牲になったという被害に目を向けてしまったのです。

*汚れた霊と、わたしたち

現代の私達の生活と照らし合わせると、汚れた霊に取り憑かれた人は、気持が落ち込み、疲れ切って考える能力が弱くなっている時に、悪魔のささやきに耳を傾け、悪魔に心を開き、悪魔を受け入れてしまったそのような一人かもしれません。私達は社会にいて汚れに満ちた所にふと足を踏み入れていないでしょうか。悪魔の「大丈夫だよ、こっちにおいで」とのささやきに、引きずり込まれていないでしょうか。しかしイエス様は、罪から、暗闇から勝利されたお方であり、私達はそのお方のしもべなのです。たとえ自分がどうしようもなく弱い人間だ、だめな人間だとつぶやいたとしても、イエス様は決して見捨てることなく私達に行くべき道に光を与え、「わたしのもとに来なさい、わたしがあなたを癒してあげよう、わたしがあなたをゆるしますよ、」と言って下さっています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(新改訳 : コリント5:17)とあるように、私達がキリストの内にあるなら、すべてが新しくなります。今、神様の内に心を委ね、神様の臨在されるこの礼拝の中に、私達自身の身を横たえて、心を明け渡すのなら、私達は新しい者へと変えられるのです。今週も信じて祈り求めて歩んで参りましょう。

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