2021年2月21日の説教要旨 申命記30:15-20・ヤコブの手紙1:12-18

「罪の誘惑」      加藤秀久伝道師

*はじめに

 本日の申命記には、モーセがイスラエルの人々に2つの選択肢が与えられていることを伝えています。申命記は、モーセとイスラエルの人々が、荒れ野での旅をしている時に与えられた「律法」を、モーセが再度語っていて、もしイスラエルの人々が神様を愛し、戒めを守るならば、イスラエル人の人も増え栄えるけれども、他方、もし、イスラエルの人々が神様に逆らい、神様から離れ、他の神々に仕えるならば、これから得ようとしている約束の地・カナンで長く生きることは出来ないというものでした。

*「わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。」(15節)

 本日の聖書の中に「今日(きょう)」と言う言葉が4回出てきます。この言葉は、語られた「その時」だけではなく、今日(こんにち)の時代においても語られる「今日」になっています。中でも神様から与えられた「十戒」(出エジプト記20:2-17・申命記5:2-22)の第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」は、イスラエルの民にとって、しっかり心に留めなければならないことであり、誰かに強いられてではなく、自分の意志で自由に選択することができる意味をも含んでいました。

この第一戒は、今の時代にも、後の時代にも、いつの時代にも、神様を信じる者たちにとっては、日々の様々な状況の中で起こる誘惑から逃れて、勝利するために、なくてはならず、守らなければならないものだと思います。それこそが、イスラエルの人々にとって、主の声に従い歩んでいく信仰へとつながり、生きて行くための力・命になることが示されています。神様の約束は、いつの時代も変わることがありません。

*「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい」(1:2)

 本日のヤコブ書には、試練を受けた時、自分の欲望のままに行動しないように注意が必要であることが述べられています。今日の12節では、「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。」とあり、神様を信じる者達が、試練や苦難・困難に遭い、耐え忍ぶことは、イエス様の栄光に与(あずか)る「約束された命の冠」をいただくことが出来ると記されています。

この「耐え忍ぶ人は幸い」とは、その人が神様との出会いの中や信仰の歩みの中で、神様の慈しみや憐れみを体験する、神様からの一方的な愛、大きな力に包まれることになるからだと思います。神様からの試練に耐え忍んだ人の中にヨブの存在があることを5章11節で告げています。

*ヨブ(ヨブ記1-2章 参照)

 ヨブには次々と試練や災いが襲いますが、ヨブはどのような状況に置かれようと神様への信仰から目を離さず、神様を畏れ敬う心を持ち続けました。その信仰深いヨブでさえ最後にはあまりの激しい試練、苦難に遭い、自分の生まれた日を呪ってしまいます。私達にも同じような苦しみや悲しみ、困難の生活があるかと思います。神様を信じたから大丈夫と信じても、更に深い悲しみ、苦しみ、痛みが降りかかり、神様がいないのではないかとの経験をしたことはないでしょうか。しかし13節で、誘惑に遭う時、誰も、「神に誘惑されている」と勘違いをしないように告げています。誘惑は人々の歩みを悪へと引きずり込みますが、それは神様からではありません。神様から出るものは良いものであり、天からの贈り物です。神様は定めた範囲以上の悪魔の働きを許可されません。

*救い主、イエス様

 イエス様が荒野で悪魔から誘惑を受けられた時、悪魔は、富や名誉、権力やこの世の全てのものを見せて、自分に従わせようとしました。

しかしイエス様は「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』申命記6:13」と、悪魔を去らせました。悪魔は私達のスキを突き、私達の考えや思いの中に簡単に入り込むことが出来、私達が精神的に疲れていればいる程、私達を誘導し、洗脳していきます。 しかし天からの賜物は、私達に新しい命を与えて下さり、イエス様が私達の心の中に入って宿って下さることです。イエス様は私達一人一人を愛し、私達のために苦しまれ、私達の罪のために十字架で死なれました。私達がいろいろな試練に会う時には、大いに喜び(この上ない喜びと思い1:2)、神様の救いと慰めがあることを期待して待ち望みましょう。

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