2021年2月7日の説教要旨 列王記下5:1-14・Ⅱコリント12:1-10

*はじめに 

 本日の旧約聖書では、アラム(シリア)の王の軍司令官、ナアマンが登場します。彼は地位も名誉もありましたが、重い皮膚病にかかっていました。レビ記には「『わたしは汚れた者です。』と呼ばわらねばならない。・・・その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」と記されていて(13:45-46)、当時は、不治の病と見なされていたようです。 ナアマンの妻の召使いで、イスラエルから捕虜として連れてこられた少女が「サマリアにいる預言者を訪ねれば、ご主人の病をいやしてもらえるでしょう」と妻に告げると、ナアマンはその話をアラムの王に伝えました。王はイスラエルの王に、「ナアマンの重い皮膚病をいやしてほしい」との手紙を書いてくれましたので、ナアマンは沢山のみやげの品々を準備して、イスラエルの王を訪ねました。

*イスラエルの王

 イスラエルの王は、アラムの王からの手紙を読むと、「私が神だとでも言うのか。彼は私に言いがかりをつけようとしている」と言って激しく怒り、衣を裂きました。それを聞いた預言者エリシャは、イスラエルの王のもとに人を遣わして「その男を私の所によこして下さい。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」と言いました。

そこでナアマンは、戦車に乗ってエリシャの家の戸口に立ちました。

*預言者エリシャとナアマンとナアマンの家来達

 ナアマンはエリシャと直接会うことで、彼の真剣な気持をエリシャに理解してもらえるだろうと思っていたに違いありません。しかしエリシャは彼の前に姿を現さず、使いの者に「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」と言わせました。ナアマンはひどく怒り、言いました。「エリシャが自ら出て来て私の前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた」と。しかも彼はヨルダン川の水よりももっと良い水の川があるのを知っていました。彼は、憤慨しながら去って行きました。ナアマンのプライドがズタズタにされた様子が伺えます。 

しかしナアマンの家来達は彼をいさめて、「あの預言者が大変なことを命じたとしても、あなたはその通りなさったに違いありません。あの預言者は『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」と言いました。ナアマンはエリシャの言われた言葉を信じて、ヨルダン川に行き、7回、身体を浸しました。すると彼の身体は元に戻り、小さい子供の体のように清くなりました。(5:14)

*信仰

 ルカ福音書に「預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかは誰も清くされなかった。」(4:27)とのイエス様の言葉が記されています。ナアマンの、「いやされたい」という真剣な気持と「預言者の言葉を信じる信仰」の持ち主が、エリシャの時代にいなかったことが分かります。信仰は、私達が心に残る神様の御言葉や、本当の神様に出会った時から始まります。

私達が苦しみや困難な状況に置かれている時、「神様は私の祈り、願いを聞いて下さらないのか。・・」と神様に呟(つぶや)き、失望したことはないでしょうか。そのような時、それは私達の側に神様が働くことの出来ない何か、私達が握りしめて手放すことの出来ないものがあるからだと思います。パウロは使徒言行録で「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(16:31)と言いました。パウロは主イエスを信じることの大切さを教えているのではないでしょうか。

本日の新約聖書でパウロは、身に「一つのとげ」が与えられたと記しています。おそらく伝道旅行中にかかった病気のことだと考えられます。パウロはこの病を通して、霊的に強められ、自分自身の弱さの中で神様の恵みに頼ることを知ることができました。そして何よりも「神様の力は弱さの中でこそ十分に発揮される」ことを体験しました。神様は私達にどんな所を歩ませようとも、必ず共におられ私達を助け出すお方です。神様は私達の祈りを知り、聞いています。落ち着いた心で神様が私達になさろうとしていることに喜んで耳を傾け、歩んでいきましょう。

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