2021年5月23日ペンテコステ礼拝の説教要旨 ヨエル書2:23-3:2 使徒言行録2:1-13

「魂の高鳴り」    加藤 秀久伝道師

*はじめに

本日のヨエル書2章12節以下は、主がイスラエルの民に向けて、現在の行いから離れ、悔い改めるようにとの呼びかけから始められています。この悔い改めは、主に対してうわべだけのしるし(衣服を裂くことなど)ではなく、一人一人が主の前に立ち帰り、心から自分のしたことを神様に打ち明けることでした。イスラエルの国の土地や建物は荒れ果てて、見るに堪えないような姿になってしまっているかもしれないが、彼らの悔い改めは、主に対して遅すぎることはないと告げています。そして人々が神様に立ち帰ることでイスラエルの国は回復し、土地は再び、穀物やぶどう酒や油を作り出すことができると述べています。

 この復興の約束は、イスラエルの人々に大きな希望を与えました。そして本日のヨエル書3章で、神様は、「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。・・老人は夢を見、若者は幻を見る。」と約束され、しかも「主の名を呼ぶすべての人々が救われる」と約束され、この預言は、ペンテコステの日に成し遂げられることとなりました。

*ペンテコステ(聖霊降臨日)

イエス様は、天に昇られる前に弟子達に、父なる神様の約束されたものをエルサレムで待つように命じました。それは、聖霊が弟子達に降(くだ)り、力を得て、エルサレムばかりでなくユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てに至るまで、イエス様の証人となるということでした(使徒言行録1:3~)。

 本日の使徒言行録2章1-13節では、五旬節の日、エルサレムで弟子達が心を一つにして祈っていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡り、炎のような舌が分かれ分かれに現われて、一人一人の上にとどまりました。炎のような舌とは、火の粉のようなものが祈っていた人々に移り、炎を灯すような光景だったのではないでしょうか。すると弟子達は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだしたとあります。この聖霊の光は、始めは小さな光から、やがて弟子達の祈りが、神様に対する願いや思いが強くなればなるほど、輝きが大きくなり、聖霊の力が増し加わって、神様の凄さ、素晴らしさ、圧倒的な存在を感じたことでしょう。

 当時エルサレムには、あらゆる国から帰って来た信仰厚いユダヤ人が住んでいて、又、五旬節のために訪れたユダヤ人やユダヤ教への改宗者がいましたが、この大きな物音で大勢が集まる中、弟子達が、自分達の故郷の言葉で話しているのを聞き、人々は皆驚き、とまどい、「一体これはどういうことなのか」と互いに言いました。その一方で「あの人達は、新しいぶどう酒に酔っている」と言って、あざける者もいました。

*わたしたち

 神様は、聖霊を通して、私たちに様々な出来事について語り、忠告をして下さいます。「私はイエス様とうまく話せなし、聖霊を感じることが出来ないから普通の生活をしている方がいい、このままの自分でいい」と思っていないでしょうか。イエス様は、イエス様を信じるすべての人たちに、神様の霊をお与えになりました。

 この“霊”の注ぎかけは、現在も止むことなく、しかも霊の注ぎかけは水の流れのように、滝の水の流れのように力強く流れているのです。イエス様はこの聖霊を、信じる全ての者達に注ぎやすくするために、私たちの罪を背負い、十字架にかかり亡くなられました。

このイエス様の死を無駄にしないで下さい。

わたしたち信じて生きる者は、イエス様の証し人となるべきです。

イエス様は、今、このペンテコステ、聖霊降臨日の礼拝の中で、神様の大いなる生きた霊、聖霊をいつもより力強く、激しく、心地よく、私たちに注いで下さっています。私たちは、この霊を思う存分、味わい、憩い、楽しむ必要があります。神様、イエス様は、ここにおられるからです。この素晴らしい日に、神様からの豊かな祝福と守り、導きがあり、今日から一週間の日々、神様が共におられますようにお祈り致します。

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