2022年2月6日の説教要旨 サムエル記下12:1-13・Ⅰペトロ1:22-25

「あらためる心」      加藤 秀久伝道師

*はじめに

 本日の旧約聖書には、イスラエル王国の王であったダビデの生涯の中で、大失敗したと言える出来事を、預言者ナタンによって厳しく注意されています。その内容については11章に記されています。

*ダビデの大失敗 (サムエル記下11章)

ダビデは出陣する時期になったので、軍の司令官ヨアブ(8:16)と自分の家臣およびイスラエル全軍を戦いに送りましたが、ダビデ自身はエルサレムにとどまっていました。おそらく勝利を確信して、自分が行く必要はないと考えたのでしょう。ある夕暮れ時、ダビデは王宮の屋上から一人の女性が水浴びをしているのを見て、その女性を召し入れ、床を共にします。彼女は司令官の家来であるウリヤの妻(バト:シェバ)でした。(注:律法では、姦淫の罪は死刑:申22:22)。しかし女性が子供を宿したと知ると、ダビデは夫のウリヤを戦場から呼び戻して妻と過ごすように取り計らいます。ところが戻ったウリヤは、自分だけが家で休むわけにはいかないと、家に帰らず王宮の入り口で家臣達と共に眠りました。ダビデの計画は失敗に終り、ダビデはウリヤを戦場に戻して激しい戦線に送るように司令官に手紙を書き、その結果ウリヤは戦死してしまいました。こうしてダビデは罪を隠そうとして、さらに、主の御心に適わないことを行ったのでした。

*預言者ナタンの叱責(たとえ話を通して)

 神様は、預言者ナタンをダビデのもとに遣わし、ナタンは一つのたとえ話をダビデに聞かせます。<ある町に一人は豊かな者と、一人は貧しい者がいた。豊かな者は非常に多くの羊や牛を持っていたが、貧しい者は自分で買った一匹の雌の小羊しか持っていなかった。ある日、豊かな男に一人の客があり、彼は自分の旅人をもてなすため自分の羊や牛を惜しんで、貧しい者の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った。>この「たとえ話」を聞いたダビデは正義感が現れ、この裕福な者の行動に対して激怒し「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。」とナタンに告げました。

その男はあなただ」(7節)

 ナタンはダビデに向かって「その男はあなただ」と言ってから以下の、神様の言葉を伝えました。「あなたに油を注ぎ、イスラエルの国を治めるようにしたのは私であるのに、なぜ、主の言葉を侮り、私の意に背くことをしたのか。あなたはウリヤを激しい戦地へ送り、ウリヤの妻を奪って自分の妻とした。」この神様の言葉を聞いたダビデは我に返り、「わたしは主に罪を犯した」(13節)と言って自分の犯した罪を認めました。

*詩編51編(ダビデの祈り)

ダビデはこの時の罪の告白と罪の赦しを願って祈りをささげました。「あなたに背いたことを私は知っています。私の罪は常に私の前に置かれています・・」(5-6節)と、神様にそむき、罪はいつもダビデの前に置かれていること、主の言われることは正しく、その裁きに誤りが無いことを告白しています。ダビデの告白は自らの気付きによるのではなく預言者ナタンの口を通して、悔い改めへと導かれました。

*わたしたち

私達はどうでしょうか。主の前に罪を認めたダビデに、預言者ナタンは「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。」と宣言したように、私達も、神様の元に立ち帰るならば、ダビデと同じように、私達の罪を神様は取り除いて下さいます。私達にはイエス様が下さった罪からの贖いの「十字架の死」があり救いがあります。どんな時にも、どんなことでも、イエス様に頼り、求めるならば、イエス様は私達の祈りと願いを聞いて下さり、赦しも、癒しも、与えて下さいます。

*主の言葉は永遠に変わることがない

本日のペトロ書では、神様を信じるわたし達は、「真理を受け入れて魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。」わたし達は、「神様の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれた者」であると言われています。私達は神様の霊を受け、聖霊の導きを信じ、互いに助け合い、励まし合い、祈り合い、お互いの徳を高め合いつつ、共に信仰の歩みを進めて参りましょう。

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