2022年1月23日の説教要旨 申命記30:11-15・Ⅰペトロ1:3-12

「主イエスを見よ」    加藤 秀久伝道師

*はじめに

 本日の新約聖書の箇所である3節には、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように」と、神様を信じた者達が、真の神様がおられることを知り、神様の素晴らしさを体験して深く心を動かされ、感謝の感情が、神様をほめたたえる形で語られています。

ペトロにとって大切なことは、神様がイエス様の父であることでした。

 イエス様は神様の御子としてこの地上に生まれ、人のかたちになることによって(人間の姿で現れ・・フィリピ2:7)、父なる神様の思い・考えを人々に伝えたこと、その出来事が、実際にペトロの目の前で起きて、今もイエス様が「霊」として人々の内に生きていることを教えようとしています。

*憐れみ豊かな神

 3節では、「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」と、あります。この「神様の憐れみ」について、エフェソ書2章にこう記されています。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし―あなた方の救われたのは恵みによるのです―」(4節~)。

 私達は、不正や不法などが存在する正しくない世界に住み、罪のために死んでいました。その私達をイエス様へと向かわせ、イエス様と共に生きるように私達を救いへと導いたのは神様であり、神様の恵みによります。神様の憐れみと恵みにより、私達は、死者の中から復活されたイエス様の出来事を通して、生き生きとした希望が与えられているのです。

*朽ちず、汚れず、しぼまない財産

さらに「また、あなた方のために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(4節)とあります。私達が天に蓄えられている神様の財産を持つことは、すでに私達の心に植えられ、備え付けられています。その財産とは、私達の地上の生活の中で体験する出来事、例えば予期せぬ事件や突然に起こる大災害、貧困による生活苦や、会社からの突然の解雇など・・によって失われ、私達の生活をおびやかすような「物」の財産とは違って、神様から来るものは、輝かしく素晴らしい「朽ちず、汚れず、しぼまない財産」です。

私達はいつ、「神様の財産」を受け継ぐことができるのでしょうか。

*準備されている救い

聖書は、「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」(5節)と、財産を受け継ぐのは「終わりの時」であることを教えています。これらのことは信仰によって、守られているのです。信仰を持つということは、簡単なようで、実に意味のあるものです。時には、難しい選択を強いられたり、悩ましく、どこかで挫折するような、どこかで背を向けたくなるような時もあるかと思います。けれども・・

*信仰は、試練によって本物と証明される

7節には、信仰は「その試練によって本物と証明される」とあり、8節には「あなたがたは、・・言葉では言い尽くせない喜びに満ちあふれています。」とあります。私達にはイエス様を信じて受け入れた時から心の中に神様の霊が宿っています。このことにより私達は、イエス様を見たことがないのに信じて愛することが出来るのです。どんなことがあろうとも、どんなところを歩もうとも、イエス様に立ち帰ることが出来、それゆえ私達は、言葉では言い尽くせない素晴らしい感謝の気持を神様に対して持ち、喜びに満ちあふれることが出来るのです。

*申命記30:14

 神様は、イスラエルの民(今は、わたしたち)に神様の言葉、聖書の言葉、救いに至らせる言葉を与え、人々の光、力になることを約束しています。そして、神様の御声に聴き従う「祝福の道」と、聞き従わない「呪いの道」を置かれました。神様の戒めは難しすぎるものではないと言われています。なぜなら「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」からです。