2022年11月20日の説教要旨 詩編11編、エペソ書5:21-33

主の変わらない祝福」        加藤 秀久牧師

*はじめに

本日の詩編1節では「主を、わたしは避けどころとしている。」と信仰の表明があり、危険が迫っていることが伝わってきます。その状況が2~3節で「闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。」と説明し、「世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何ができようか。」と、友人達の言葉が聞こえてきています。本来あるべき社会秩序がくつがえされて、いつしか、しがらみや不正がはびこり闇に閉ざされてしまったような状況に現在、作者は置かれているのです。

主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。」(4節)

しかし、たとえ社会が闇に閉ざされているような状況であっても、主なる神様は人間の世界を越えた天から「御目は人の子らを見渡しそのまぶたは人の子らを調べ(4節)」られます。私達一人ひとりが何を拠り所としているか、誰を頼みとし、どこに隠れ家を置いているかを明らかにされます。

*わたしたち

私達は、神様を信じ、神様に守られているとの確信をしっかり心に刻むことが大切です。作者は「主は正しくいまし、恵みの業を愛し 御顔を心のまっすぐな人にむけてくださる。」と告白しています。神様は正義を行い、信仰生活を正しく送っている者達にはその御顔、御姿を現して下さいます。私達は毎日、神様に目を向けて歩いているでしょうか。 私達は時々、神様によって試される時があります。私達はどんな時でも「主に従う人に御顔を確かに向けて下さる神様」を避けどころとして歩み続けましょう。

*妻と夫

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」(21節)

本日のエフェソ書の御言葉は、私達がイエス様に対する畏れをもって、イエス・キリストを主と認めて信仰生活を送り、人々に仕え、支え合っているのかが問われているように感じます。この前の6節以下には、光の子として(光から善意と正義と真実が生じる(8~9節)歩み、霊に満たされ、いつも感謝しながら(18~20節)歩むように勧めています。キリストに仕える者逹がお互いに仕え合うことは、夫婦の関係と同じようなものであり、妻は夫に「主に仕えるように仕えなさい」と、神様に従うことから始まっています。イエス様が教会(信仰者の群れ)の頭(かしら)であり救い主であるように、妻も夫に仕えなさいと教えます。一方 夫には、イエス様が教会を愛し命を捨てるほど愛されたように、妻を愛することを教えています。イエス様がそうされたのは、神様の言葉と洗礼とによって教会を清めて、聖なる汚れのない、栄光に輝く教会を立たせるためです(26~27節)。夫婦も、夫は妻を自分のように愛し、妻は夫を敬うように(33節)教えています。そのことを通して私達の神様との関係も良い方向へと進み、良い実を結ぶことができることを伝えているようです。

*神様とわたしの関係

 私は先日、正教師面接で「あなたはキリストの花嫁として、教会に仕え、キリストに仕えることが神様から与えられた召命であることを信じますか」と問われました。私は、<イエス様に初めて出会い、信仰を告白した時からイエス様と共に歩んでいるのだから、今、再びこの問いに、告白(誓い)は必要なのか?>と考えていた中で、<私はイエス様のことを真剣に受け入れ、イエス様の霊をこの体に身に付けているだろうか。私は本当に神様に耳を傾け、聞いてきたのか・・。そういえば最近、神様の声、神様の霊を感じていないのでは?> <果たしてこのような私が、正教師としてキリストの花嫁として歩むことに誓いをたててよいのか?>など短い時間で思い巡らしていた時、すぅーと、私の身体の中に神様の霊が入ってだんだん大きくなるのを感じました。そして若い時に与えられた「人々に神様の言葉を伝えていきたい」との思いに立ち返り、今、その召命に従うこと、信じることだと思いました。 

今は目に見えず、不安な部分が沢山ありますが、将来、神様の計画が起こり、目で見て体験することになるだろうとも感じました。皆さんも、これから先、神様の御前で何かの誓い(約束)をする時があるかもしれません。神様がいつも共に在り、神様の深い愛と祝福をお祈り致します。