「キリストの墓」 牧師 佐藤義子

/n[ヨブ記] 1章14-21節 14-15ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 15 [前節に合節] 16 彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 17 彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。 19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。 21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 /n[マタイによる福音書] 27章57-66節 57 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。 58 この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。 59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 61 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。 62 明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、 63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。 64 ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」 65 ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」 66 そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。 /nはじめに  本日は召天者記念礼拝です。信仰の先輩たちの写真を前にして、地上での生涯を信仰をもって走りぬいたその姿を思い起こし、記念する日です。私達の教会は歴史も浅く、私達の群れから天に送った方々はおりません。写真にある方々は私達会員の家族であり、又、会員と深い関係にあって信仰に影響を与えた方達です。私達はいずれこの方々と同じように神様から召される時を与えられます。その時、私達は地上での生涯を神様に深く感謝し、神様のもとに召されることを喜んで受ける者になっていたいと思います。あるクリスチャンのご主人が亡くなる少し前に、奥様がいつものように(?)悩み(つぶやき)を口にすると、病床のご主人は「ごたごたいうな。私はまもなく神様の所にいく。だからそのことを考えて心の準備をしているのだ。いつ迄もこの世のことで私を悩ますな」と叱られたそうです。人は生きてきたように死んでいくという言葉があります。ヨブのようにすべては神様からいただいたものであることを覚え、日々感謝しつつ歩み続けたいと思います。神様は私達の身元引受人です。どんなことがあっても、何があっても、私達の命の与え主である神様が守って下さる限り心配することはありません。与えられた分に応じて、与えられた賜物に従って、誠実に忠実に歩むものでありたいと思います。 ______________________________ /n弟子の名前がない  今日の聖書に登場するのはイエス様の遺体とそれにかかわる人々だけです。その中にあるべき筈の11人の弟子の名前はありません。愛し尊敬する先生が死刑になることだけでも耐えられない苦痛であったでしょう。そして自分達も又、死刑囚の弟子ということで命の危険にさらされるかもしれないという不安。メシアとして信じてきた信仰の一方で、イエス様の死という現実を前に、先が見えない動揺などが想像されます。弟子の名がない代わりに聖書は、十字架の死をみとった人々として遠くから見守っていた大勢の婦人達と具体的な数人の女性の名前を挙げています。彼女達は「ガリラヤからイエスに従って来て世話をして」いました。この彼女達がイエス様の十字架の死を見届け、そこから離れなかったが故に、イエス様の遺体を納めた場所を見届け、弟子達より先に復活のイエス様に会うことが赦され、弟子に伝える役割が与えられるのです。 /nアリマタヤ出身のヨセフ  イエス様の遺体は、アリマタヤ出身のヨセフの申し出により引き渡されました。彼は金持であり(マタイ)、身分が高く議員であり、勇気を出してピラトの所に行きました(マルコ)。善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意せず、神の国を待ち望んでいました(ルカ)。その一方で、「イエスの弟子でありながらユダヤ人達を恐れて、そのことを隠していたヨセフ」(ヨハネ)とあります。「勇気を出して」とあるのは、このことによって自分のイエス様への信仰が公けになるからでしょう。つまりヨセフはイエス様の死をめぐって、それ迄の生き方を転換させ、イエス様に自分の出来る最善を尽くすため、自分の信仰が明らかになる道を歩む、その決心が与えられたのでしょう。「ヨセフは遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、自分の新しい墓に納め」ました(59-60)。こうしてイエス様は、神の御子としてふさわしい葬りを受けられました。 /nイエス様の葬りの意味  ロマ書は記します。「私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それはキリストが父の栄光によって使者の中から復活させられたように、私達も新しい命に生きるためなのです。もし私達がキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」(6:4-5)。私達はそれゆえに、毎週使徒信条で、十字架と復活の間に[死にて葬られ]と告白するのです。(後略)