「キリスト者の祈り」 佐藤義子 牧師

/n[詩篇] 145:10-21 10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ 11 あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。 12 その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。 13 あなたの主権はとこしえの主権/あなたの統治は代々に。 14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます。 15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。 16 すべて命あるものに向かって御手を開き/望みを満足させてくださいます。 17 主の道はことごとく正しく/御業は慈しみを示しています。 18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし/まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし 19 主を畏れる人々の望みをかなえ/叫びを聞いて救ってくださいます。 20 主を愛する人は主に守られ/主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。 21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは/世々限りなく聖なる御名をたたえます。  /n[使徒言行録] 4章23-31節 23 さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。 24 これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。 25 あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、/諸国の民はむなしいことを企てるのか。 26 地上の王たちはこぞって立ち上がり、/指導者たちは団結して、/主とそのメシアに逆らう。』 27 事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。 28 そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。 29 主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。 30 どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」 31 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。 /nはじめに  今日の聖書は、議会からイエスの名によって語ることを禁じられ、脅迫されて釈放されたペトロとヨハネは、その後どうしたのか。そしてその結果何をしたのか、という二つのことについて記されています。 釈放後、二人は直ちに仲間(二人が投獄されている間中、真剣な祈りを捧げていたイエス・キリストの弟子仲間)のところへ戻りました。二人は仲間達に、祭司長達の言動、又、彼らがどれほどイエスの名を使った宣教活動を恐れて、やめさせようとしているのかを、残らず報告したのでした。次に聖書が伝えていることは、その報告を聞いて、仲間は何をしたのか、ということです。弟子達仲間がしたことは、心を一つにし、神に向かって声を上げ祈ったことでした(24節)。現実に起きた出来事を受け止めた時、それは、それについて話し合うべき事柄ではなくて、神様に訴えるべきことであることを誰もが知っていた、ということです。 /n弟子達の祈りと教会の姿  教会は、何よりもまず天地を創られた神様を見上げ、神様の御業をほめたたえます(24節)。神様の力を仰ぎ見る時、人間の大きさや力がどんなに小さいものであるかを知らされます。続いて弟子達は、詩篇2編の言葉を引用して祈りました。この世の民衆や王達は空しいことを企て、指導者達は神様に逆らうという詩です。事実、ローマ総督ピラトは異邦人、イスラエルの民と一緒になって神様が遣わされたイエス様に反逆しました。しかしこれらのことも全て神様がご承知であり、神様の御手の中にあったと告白します。教会は、神様がこの世界を統治されていることを信じ、神様が与えられるものはすべて引き受ける服従のもとで行動していきます。 更に祈りは、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、」(29節)と祈り、「自分達が大胆に宣教出来るように」と続きます。神様が事実に目を留めて下さるならば、あとは神様が必要なことをしてくださるという信仰です。弟子達が祈ったことは、与えられた使命を果たす為に集中することでした。 /n「思い切って大胆に御言葉を語ることができるように」(29節)  この祈りは、全てのキリスト者に与えられた使命遂行のための祈りです。イエス・キリストが神の御子・救い主であり、私達の罪が赦される為に十字架にかかって死なれ、そして復活し、今もなお生きて私と共にいて下さること、この信仰が与えられている者は、キリストを証しするように神様から使命を与えられています。キリスト教は、宣べ伝えることをやめた途端にキリスト教でなくなる、といわれるように、宣べ伝えていくところに聖霊が働き、生き生きとした信仰が育っていくのです。 祈りの最後で、弟子達は、語る言葉に「しるし」が伴うように、と祈りました。祈り終えた直後、ペンテコステの出来事と同じように、彼らが集まっていた場所が揺れ動き、そこにいた人達は聖霊に満たされて、人間の権威を恐れることなく大胆に神の言葉を語り出しました。 /n私達の目指す教会  今日の聖書の箇所を通して、私達信じる者が「キリストの本当の弟子」となっているか、私達の伝道所が「聖書が伝えるイエス・キリストを信じて従う者から成る信仰者の群れ」となっているか、そのために祈り続けているかを、改めて問い直したいと思います。 そして、弟子達が迫害後釈放された時、まず仲間の所に戻って残らず話したように、私達の教会も、いつでも宣教(伝道)に伴うどんな話でも、すべての話が出来る場所でありたい、その為に牧師・伝道師を始め、兄弟姉妹が与えられていることをここで確認したいと思います。  日曜日の礼拝を通して神様の御言葉を聞き、御言葉によって励まされ、御言葉から力を頂き、又、正され、祝祷によって社会に派遣され、再び兄弟姉妹と共に神様を賛美し、礼拝するために戻って来る所として教会は存在し続けます。私達の仙台南伝道所が、教会と呼ぶにふさわしい場所としていただけるように祈りましょう。そして、人間の知恵を出し合うのではなく、心を一つにして天地を創られた神様を仰ぎ見て祈り、聖霊の賜物をいただけるよう願い、各自に与えられている使命を果たせるように祈っていきたいと願うものです。