「神から出たもの」 佐藤義子 牧師

/n[詩篇] 30:2-6 2 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを/あなたは癒してくださいました。 3 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ/墓穴に下ることを免れさせ/わたしに命を得させてくださいました。 4 主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。 5 ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。 6 平穏なときには、申しました/「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。 /n[使徒言行録] 5章27-42節 27 彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。 28 「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」 29 ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。 30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。 31 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。 32 わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」 33 これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。 34 ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、 35 それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。 36 以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。 37 その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。 38 そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、 39 神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、 40 使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。 41 それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、 42 毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 /nはじめに  今日の聖書は、イエス様の弟子達が議会の命令を破り宣教を続けた為に再び議会に引き出され尋問される場面です。28節に、議会での大祭司の言葉が記されています。「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前達はエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」 弟子達がイエス・キリストの名前によって人々を癒し、あるいはイエス・キリストの復活を語ることによって人々の間にイエス・キリストへの賛美が生まれることは、イエス・キリストに死刑宣告をした者を批判し裁くことにもつながります。議会はある意味で血の報復を恐れているのです。 /n人間に従うよりも  この世の権力者からイエスの名を使うことの禁止命令が出ているにもかかわらず、なにゆえその命令を破るのか、という質問に対してペトロと他の弟子達は大胆にも堂々とそれに答えました。 「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」。 裁判というものは、そもそも何が正しく何が間違っているのかを判断して決定が宣告される場ですが、裁判の判断が明らかに神の命令に矛盾する場合は、弟子達は、神の働きの中で生き神の命令に基づいてすべてのことを行為するゆえに、神の命令を優先することを宣言したのです。更に「あなた方が木につけて殺したイエスを神は復活させられました」と宣教したのです。「神様が人間の罪を赦すために救い主として送って下さった神の御子を、あなた方は神に呪われた者(木につけて殺された者は呪われた者)としてしまった」と議会を告発し、悔い改めて神に立ち帰るよう促しました。 /n人からか、神からか。  「悔い改める者には罪の赦しが与えられる」という恵みの福音が用意されているにもかかわらず、弟子達の言葉に対する議会の応答は、はげしい怒りと殺意でした(33節)。そのような怒りの感情で荒れ狂っている議員達を見て、議会の構成員の一人であったファリサイ派の中でも特にその名が知られていた律法の教師・ガマリエルが警告を発しました。「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。」  神から出た計画や行動は、人間が決して太刀打ちすることは出来ないゆえに、まかり間違えば、自分達が神を敵にまわすことになりかねない。だから死刑判決にすべきではないとの彼の警告に議会は従い、弟子達は 鞭打たれた後、再び伝道禁止を言い渡されて釈放されました。 /n辱めを受けるほどの者にされた喜び  使徒達はイエス・キリストから迫害の予告を聞いておりました。「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂でむち打たれるからである」(マタイ10:17)。「私の為にののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」(同5:11-12)自分達が「苦難を受けた証人」とされた喜びから、使徒達は今や、疲れを知らない熱意をもって、「毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせて」(42節)おりました。 /n福音宣教の前進  こうして福音は信じる者から信じる者へと伝え続けられ、妨げられても神から出ているゆえに、人間の一切の思惑を超えてとどまることなく前進していきました。それゆえに私達も又、恥じることなく人にこびることなく、伝道する使命と責任と神様が共にいて下さることを喜び感謝し、今週もキリストの良き証人となれるよう神様の助けを祈るものです。