「天使の顔のように」 佐藤義子 牧師

/n[出エジプト記] 34章29-35節 29 モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。 30 アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかったが、 31 モーセが呼びかけると、アロンと共同体の代表者は全員彼のもとに戻って来たので、モーセは彼らに語った。 32 その後、イスラエルの人々が皆、近づいて来たので、彼はシナイ山で主が彼に語られたことをことごとく彼らに命じた。 33 モーセはそれを語り終わったとき、自分の顔に覆いを掛けた。 34 モーセは、主の御前に行って主と語るときはいつでも、出て来るまで覆いをはずしていた。彼は出て来ると、命じられたことをイスラエルの人々に語った。 35 イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いを掛けた。 /n[使徒言行録] 6章8-15節 8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。 9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。 10 しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。 11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。 12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。 14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」 15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。 /nはじめに  使徒であるステファノは、霊と知恵に満ちた評判の良い人であり、また、恵みと力に満ちており、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていました(6:3、8)。ある日、ユダヤ人の会堂でステファノが宣教していた時、その話を聞いていたこの会堂に属する人々と、キリキア州とアジア州出身のある者達が議論をしかけてきました。旧約聖書の預言がイエス・キリストにおいて成就したというステファノが語る福音は、そのように旧約聖書を読んだことのなかった彼らには、受け入れ難かったのでしょう。彼らは人々をそそのかしてウソの証言をさせ、さらに人々を扇動してステファノを襲って捕らえ、議会に引いて行きました。 自分達の方が正しいと思い込み、それゆえにイエス・キリストの真理を誤解し、非難し、手段を選ばず力ずくで相手をねじふせようする彼らの姿は、聞く耳を持たない人間の姿そのものです。 /n知恵と霊によって語る  しかしステファノと議論した人々は、ステファノの前に歯がたちませんでした。その理由を、聖書は「ステファノが『知恵と霊によって語る』」からだと説明しています。知恵と知識の根源は神です。この神の知恵はイエス・キリストにおいて具体的に現われました。コリント書には「神の知恵であるキリストを宣べ伝えている」、「このキリストは、私達にとって神の知恵となり」と記され、又、「十字架の言葉は、滅んで行く者にとっては愚かなものですが、救われる者には神の力です。」「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」とあります。この神の知恵は、聖霊の働きによって人に伝達されます。 霊についてはイエス様とニコデモの会話から学ぶことが出来ます(ヨハネ3章)。イエス様が「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」とニコデモに語った時、「年をとった者が母親の胎内に再び入れない」と彼は答えました。イエス様は「肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である。風の音を聞いても、風がどこから来てどこへ行くかを知らないように、霊から生まれた者も同じである」と言われました。霊は、ただ神様から与えられるものであり、霊によって新しく生まれることによって神の国を見ることができるとイエス様は言われます。 ステファノは、霊によって新しく生まれ変わり、聖霊が彼の内に住み、その生きた霊である神様がステファノの口を通してイエス・キリストを証しする。これが「知恵と霊によって語る」ということでしょう。 私達にも、この神の知恵、神の霊が必ず与えられることが、ヤコブ書で約束されています。「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、誰にでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そう言う人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。」(1:5-8) /n「天使の顔のように」  私達はステファノを通して、この世におけるキリスト者のあるべき姿を学ぶことができます。彼の語る宣教の言葉を聞いて、騒ぎ、恐れているのは告発したユダヤ人であり、一方、告発されたステファノは、「その顔は天使の顔のように見え」(15節)ました。ステファノの心が神様の御手の中にあり、神様の清さを議会の人々に感じさせました。周囲の人々の怒りや騒々しさとは対照的に、神と共にいるステファノは静かで落ち着いておりました。いつでも福音を語る準備があり、その福音の為に自分の命を捨てる用意がありました。人間の邪悪さに対して神様の御言葉をもって、神様の恵みの素晴らしいご計画を証しする者としての清らかさが、そこにいた人達に伝わったのです。ステファノは、イエス・キリストの言葉を信じて、忠実に従った使徒の一人でありました。私達も又、多くの証人に囲まれながら、大胆に勇気をもって神様に霊と知恵を与えて下さるように日々祈りつつ歩みたいと願うものです。