「族長の歩み」 佐藤義子 牧師

/n[創世記] 12章1-4節 1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。 2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。 3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」 4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。 /n[使徒言行録] 7章1-8節 1大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。 2 そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、 3 『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。 4 それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、 5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。 6 神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』 7 更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』 8 そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。 /nはじめに  イエス・キリストの名前によって宣教していた使徒の一人、ステファノは、ユダヤ人のねたみと偽証によって捕えられ、議会に引き出されました。大祭司から訴えられた内容について弁明の機会を与えられた時、ステファノが初めに語ったことは、訴えられている罪状(律法や神殿)についてではなく、民族の父祖であり信仰の父と呼ばれるアブラハムの生涯でした。ユダヤ人にとって歴史がアブラハムから始まるのは、ごく自然のことです。(日本人にとっての民族の祖先であり父と呼ばれる人物は思い当たらず、初めて日本史に登場する固有名詞は邪馬台国の女王卑弥呼で、AD3世紀の話です。イスラエルの歴史はBC2000年のアブラハムから民族に語り伝えられ、モーセの時代はBC1300年頃、ダビデの時代はBC1000年頃です)。 /nイスラエルの歴史は、始祖アブラハムから  ステファノは議会に召集されたユダヤ人達に向かって、まずアブラハムに目を向けるように語りました。創世記12章にはアブラハムがハランにいた時に神様の声を聞いたことが記されています。アブラハムは神様の語りかけに従い「生まれ故郷・父の家を離れて、私(神)の示す地に行」きました。それは行く先を知らないままの出発でした。15章では神様が「私はあなたをカルデヤのウルから導き出した主である」と呼びかけています。 ステファノは「神様が、我々の先祖アブラハムに声をかけられた。そこからすべては始まり、そのことから今日の我々がある」と伝えたのです。アブラハムと妻サラの間には子供がいませんでしたが、神様はカナンの地を子供のいないアブラハムに与えて、子孫に相続させると約束されました。アブラハムが信仰の父といわれるのは、彼が神様の言葉に従って家を離れ、子供がいないのにもかかわらず、子孫への約束を信じたことにあります。神様は、アブラハムの子孫が将来外国に移住し、奴隷として虐げられ、400年の奴隷の時代の後、その国から脱出して、再びこの場所で礼拝をするとアブラハムに告げられました。 神様とアブラハムの間に契約がたてられます。それはアブラハムを「多くの国民の父」として繁栄させ、カナンの土地を与え、神様が彼らの神となるゆえに、その「しるし」として、アブラハムの民のすべての男子は、生まれて八日目に「割礼を受ける」という契約でした。 ユダヤ人がその権威を守ろうとしている「律法」や「神殿」は、アブラハムの時代にはなく、アブラハムに与えられたのは、「将来この場所で礼拝する」という神様の約束と「割礼」による契約であること、この契約は、族長(民族の長)アブラハムから(族長)イサクへ、そして双子の弟である(族長)ヤコブに継承され、ヤコブの12人の息子達すべても生まれて八日目に割礼を受けたことをステファノは議会で語りました。 /n聖書から神意を聴く  ユダヤ人がステファノに対して問題にしたのは、ステファノが語る「律法」や「神殿」が自分達の考える(旧約)聖書の教えに反しているのか、いないのか、ということでした。しかしステファノがこの弁明の機会になそうとしたことは、ユダヤ人の考えている「律法や神殿」はどのようにして神から与えられ、それは何であるのかを、ユダヤ人の理解ではなくて「聖書」そのものから明らかにすることでした。 ステファノもユダヤ人達も、同じアブラハムを民族の始祖として同じ民の歴史の中で生きてきました。それにもかかわらず、このように対立しているのは、ユダヤ人達が聖書に記されているその本質をわかろうとしないことに原因がありました。聖書をどんなに研究しても、又、言葉にくわしく通じていても、聖書から道徳の体系や、法体系を作り出し、その体系に合わせてモーセや神殿を解釈しようとした為、神様の語る真の意味を理解することが出来なくなっていたのです。聖書を自分達に理解出来る範囲の中で、本来の意図をゆがめてしまったといえるでしょう。それを明らかにして下さったのがイエス・キリストです。イエス・キリストから教えられた弟子達は、聖書を正しく解き明かしました。 私達は幸いなことに、イエス・キリストの光のもとで聖書を読むことができます。ステファノが命をかけて伝えようとした真の福音を聴きましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です