「神の住まい」 佐藤義子 牧師

/n[歴代誌下] 6章17-31節 17 イスラエルの神、主よ、あなたの僕ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。 18 神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。 19 わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。 20 そして、昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが御名を置くと仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。 21 僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。 22 もしある人が隣人に罪を犯し、呪いの誓いを立てさせられるとき、その誓いがこの神殿にあるあなたの祭壇の前でなされるなら、 23 あなたは天からこれに耳を傾け、あなたの僕たちを裁き、悪人は悪人として、その行いの報いを頭にもたらし、善人は善人として、その善い行いに応じて報いをもたらしてください。 24 あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、立ち帰って御名をたたえ、この神殿で祈り、憐れみを乞うなら、 25 あなたは天からこれに耳を傾け、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らとその先祖たちにお与えになった地に彼らを帰らせてください。 26 彼らがあなたに罪を犯したために天が閉ざされ、雨が降らなくなったとき、この所に向かって祈り、御名をたたえ、あなたからの懲らしめによって罪を離れて立ち帰るなら、 27 あなたは天にいまして耳を傾け、あなたの僕たち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らに歩むべき正しい道を教え、嗣業としてあなたの民に与えてくださった地に雨を降らせてください。 28 またこの地に飢饉が広がったり、疫病がはやったり、黒穂病、赤さび病、いなご、ばったが発生したり、敵がこの地で城門を封鎖したり、そのほかどんな災い、どんな難病が生じたときにも、 29 あなたの民イスラエルが、だれでも、災いと病苦を思い知って、この神殿に向かって手を伸ばして祈るなら、そのどの祈り、どの願いにも、 30 あなたはお住まいである天から耳を傾け、罪を赦してください。あなたは人間の心をご存じですから、どの人にもその人の歩んできたすべての道に従って報いてください。まことにあなただけが人の心をご存じです。 31 こうして彼らは、あなたがわたしたちの先祖にお与えになった地で生を営む間、絶えずあなたを畏れ敬い、あなたの道に従って歩み続けるでしょう。 /n[使徒言行録] 7章44-53節 44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。 45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。 46 ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、 47 神のために家を建てたのはソロモンでした。 48 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。 49 『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。 50 これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか。」』 51 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。 52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。 53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」 /nはじめに  詩篇139編にこのような言葉が記されています。 >> 「主よ、あなたは私を究め 私を知っておられる。座るのも立つのも知り 遠くから私の計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け 私の道にことごとく通じておられる。私の舌がまだ一言も語らぬ先に 主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからも私を囲み 御手を私の上に置いていて下さる。その驚くべき知識は私を超えあまりにも高くて到達できない。どこにいけばあなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうともあなたは そこにいまし、陰府(よみ)に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。あけぼのの翼をかって海のかなたに行きつこうとも あなたはそこにもいまし 御手をもって私を導き 右の御手をもって私を捕えて下さる。」 << /n礼拝する場所  モーセは荒れ野において、神様を礼拝する場所として天幕を造るように命じられました。ダビデ王は自分が立派な王宮に住んでいるのに、十戒の板が納められている「神の箱」が古い天幕に置かれたままであるのが気になり、立派な神様の住まいを建てたいと願うようになります。しかし神様は預言者ナタンを通して「一度でも私(神)の為に家を建てよと言ったことがあるか。私はあなたがどこに行こうとも、共にいる。」と語り、更に、神殿を建てるのはダビデではなくダビデの子孫であると語られました。(歴代誌17章参照)。やがて神殿はダビデの息子ソロモンによって建てられました。立派な神殿でしたが、神殿の完成時にささげたソロモンの祈りは「神は果たして人間と共に地上にお住いになるでしょうか。天も天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、尚、ふさわしくありません。ここはあなたが『御名を置く』と仰せになった所です。どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて罪を赦して下さい。」でした。 /n被造物は創造主の住まいを造れない  創造主である神様の住まいを、被造物である人間が造るということは不可能です。神殿は、神様がそこに名前を置き、目を注いで下さるゆえに、私達人間はそこから祈りを捧げるのです。私達の伝道所も(全ての教会も)天におられる神様が目を注いで下さる故(ゆえ)に礼拝場所となるのです。ところが、イエス・キリストの時代、エルサレム神殿は当初のソロモンの祈りから遠く離れ、ユダヤ教のシンボルとして絶大な権力を誇る存在となっていました。いつしか神殿は金の子牛のように偶像礼拝の対象ともなっていました。どこにでもおられる神様を、神殿にしかおられないとの錯覚に陥りました。実際、ステファノが議会に訴えられたのは「この男は、この聖なる場所と律法をけなした」との冒とく罪でした。 /nステファノの説教  ステファノは議会で、民族の歴史を語り、自分達の祖先がいつの時代でも神様が遣わす人達(預言者)に耳を傾けず反逆を繰り返してきたこと、その結果、預言者達を迫害し、又殺してきたこと、更に預言者が預言していた「正しい方」すなわち、神の御子イエス・キリストを、あなた方ユダヤ人は殺してしまった!と人々を告発したのでした。ステファノは彼らを「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人達」と呼びました。心を固くして聞く耳を持たない人達という意味です。さらに「あなた方は、いつも聖霊に逆らっています」と断罪しました。彼らがステファノの言葉に耳を傾けるならば、自分達はイエス・キリストを拒んだ罪ある者であったと認めて、悔い改めたことでしょう。けれども自分に自信があった彼らに聞く耳はなく、結局、彼らもステファノが指摘した、祖先と同じ反逆の道を選び取ることになりました。  イエス・キリストが来られたのは、私達人間が罪を悔い改めて新しく生きる為です。イザヤ書に「わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人、私の言葉におののく人」(66:2)とあります。私達は、神殿を偶像化してしまう不従順な信仰から守られるよう、神様が遣わされたイエスキリストに従う道を、共に、しっかり歩んでいきたいと願うものです。