「神の敵と神の家族」 平賀真理子 伝道師

/nイザヤ書59:15b-21 15b 主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。 16 主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業 17 主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい/熱情を上着として身を包まれた。 18 主は人の業に従って報い/刃向かう者の仇に憤りを表し/敵に報い、島々に報いを返される。 19 西では主の御名を畏れ/東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのように臨み/主の霊がその上を吹く。 20 主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる。 21 これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると/主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊/あなたの口においたわたしの言葉は/あなたの口からも、あなたの子孫の口からも/あなたの子孫の子孫の口からも/今も、そしてとこしえに/離れることはない、と主は言われる。 /nマルコ福音書3:20-35 20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。 21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。 29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。 31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 /nはじめに  今日の聖書は、「あの男(イエス様)は気が変になっている」とのうわさを聞き、イエス様を取り押さえに来た「身内の人達」およびエルサレムから来た律法学者達がイエス様のことを「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていることに対するイエス様の応答が記されています。 /n「サタン」「(王)国」「家」のたとえ  イエス様は、仲間内で争えば自滅するだけであり、全く逆の性質の者が戦うことで、勝った方が負けた方を追い出せること。従ってイエス様が悪霊の仕業と考えられていた病気を癒したり、悪霊を追い出したりする力は、他の悪霊の力ではなく、逆の性質である「神の力」だと説明しました。 /n聖霊を冒涜(ぼうとく)する罪  「人々が犯す罪や冒涜の言葉はすべて赦されるが」(28節)とは、イエス様が「神の御子」であることを知ろうとしないことにより、漠然と神様に背いている言葉や行為などは赦されるということです。これに対して「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず」とは、神様の生きた霊を受けイエス様を知りながらも聖霊を否定する人は赦されない」ということです。彼は汚れた霊に取りつかれている」(30節)というご自分への言葉に対してイエス様は、御自分を愛し、御自分を通して生きて働かれる聖い神様の霊を「汚れた霊」と冒涜したことに対して、神様の裁きを教えられました。 /nサタンの敗北  内輪もめの3つのたとえ話は、やがてイエス様が神の御子としてこの世を支配するサタンに打ち勝ち「この世を神の国にする」という勝利の預言になっています。この世の長として我が物顔しているサタンは、人間を、神様に従い得ない愚かで汚れた生き物として捕まえています。 イエス様はその縛られた人間の罪の縄目を「十字架の死」という贖いによって解き放ったのです。 /n十字架の死  「十字架の死」とは「全き自己犠牲」で、人間の罪の元凶である「自己中心」とは正反対です。イエス様は、神様への完全な従順によって「復活」という栄光を、父なる神様から授けていただいたのです。今日の旧約聖書イザヤ書に、人々の背きを贖う者として救い主がやってこられる預言があります(59:20)。 >> 主は贖うものとして、シオンに来られる。 ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると 主は言われる。 << 贖い主の恵みを受けられるのは、主が選び、かつ、罪の悔い改めをするへりくだった人々であることが宣言されています。そして、罪を悔いた者には永遠の祝福が与えられることが約束されています(同59:21)。 >> あなたの上にある私の霊 あなたの口においたわたしの言葉は あなたの口からも、あなたの子孫の口からも  あなたの子孫の子孫の口からも 今も、そしてとこしえに離れることはない、と主は言われる。 << /n神の家族 >> 「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、母なのだ。」(マルコ3:35) <<  神の御心を行うとは、神様の意志・思い・決意を遂行する・実現することです。神様の決意とは、「罪に陥った人間をどうしても救いたい!」との神様の熱情です。イエス様は、父なる神様とその愛をこの世の人に知らせ、人を生かし豊かに祝福を与えて下さる神様がこの世を治められる為に働かれました。私達はイエス様が教えられた御言葉やその歩みを聞き、信じて従うことで神様の御心を行う者の家族とされます。実に大きな恵みです。又、この伝道所でも、神様の治める御国の先取りとしての「家族」として、交わりが互いに赦されていることを感謝します。聖霊が持っておられる良いものを悟り、そのすばらしい恵みを多くの人々と共有し、父なる神様・子なるイエス様・聖霊の働きを、神様からの知恵によって知ることが出来ますように。神の家族としてふさわしく歩めますよう、祈ってまいりましょう。