「神の国のたとえ」 平賀真理子 伝道師

/n[詩編] 33編12ー22節 12 いかに幸いなことか/主を神とする国/主が嗣業として選ばれた民は。 13 主は天から見渡し/人の子らをひとりひとり御覧になり 14 御座を置かれた所から/地に住むすべての人に目を留められる。 15 人の心をすべて造られた主は/彼らの業をことごとく見分けられる。 16 王の勝利は兵の数によらず/勇士を救うのも力の強さではない。 17 馬は勝利をもたらすものとはならず/兵の数によって救われるのでもない。 18 見よ、主は御目を注がれる/主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。 19 彼らの魂を死から救い/飢えから救い、命を得させてくださる。 20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。 21 我らの心は喜び/聖なる御名に依り頼む。 22 主よ、あなたの慈しみが/我らの上にあるように/主を待ち望む我らの上に。 /n[マルコによる福音書] 4章21ー34節 21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 23 聞く耳のある者は聞きなさい。」 24 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」 26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 29  実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 /nはじめに  「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と、イエス様は言われて、神の国の宣教活動を始められました。「神の国を宣べ伝え、この世に広める」ためにこそ、イエス様はこの世に来られました(マルコ1:38)。 /n「神の国」とは?  「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20)。神の国はお互いの人格的関係の中でこそ成り立つ・・そこには「神の愛が、神様と人間の間、そして人間と人間の間に満ち満ちている世界」です。 /n「神の愛」とは?  「神の愛」の元々の言葉は「アガペー」と呼ばれ、「尊敬する」「賞賛する」の意味から生まれた言葉です。私達の社会でよく使われる「愛」は恋愛に見られるような、一時的で不安定な「好き」な気分を連想しますが「アガペー」は全く違います。相手を大事に思い、尊重し、責任を持ち続ける決意ある真心をいいます。私達の主、イエス様の父なる神様は、まさに、この愛を人間に注がれました。神様から愛の対象として創られた人間が、罪に陥り、不信仰を続けたにもかかわらず、人々を愛し続け、その罪を御子に贖(あがな)わせるという犠牲を払ってまでも「人々を救う約束」を果たされたのでした。 /nイエス様は御言葉と行為で。  自分の一時的な感情や利益の為に人を利用することがまかり通る、今の、私達の罪ある世界と違って、神の国は、責任を持ちつつ互いを敬い、尊重する気持を持って、神様ご自身や周りの人と永遠につながっていられる世界、神様の愛が溢れた世界です。イエス様は「神の愛」や「神の国」を、御言葉(山上の説教や多くの譬え)と、行為(癒しや自然現象を御心のままに変える奇跡など)で教えられました。 /n神の国の広がり  今日の、ともし火のたとえは、「命の光(ヨハネ8:12)としてこの世に来られたイエス様の神の国の福音が、必ず明らかになる」との預言です。イエス様が救い主としてこの世に来て下さり、神の国を教えて下さったこと、神様の偉大な力を示し、人々に希望を与える為に信仰のある所に奇跡を行って下さったこと、人々の罪を贖って下さったこと、父なる神様への絶対的な服従によって死に打ち勝ち「復活」という栄光を賜ったこと等、二千年間伝えられ続け、信じられ、人々の希望であり続けました。 /n「成長する種」(4:26-)  人はごくわずかの働きだけ(種を蒔くだけ)で、あとは神様が働いて下さっていることが語られます。どんな時も神様のご計画は着実に進んでいくのです。人はそれぞれの時や場所にあって、そのご計画の下、働く役目が与えられています。人には知らされず神様だけが計画され、実行されていくのです。 /n「何を聞いているかに注意しなさい。」(24節)  神の国の広がりの希望を知らされている私達は、神様側の基準を理解し、従い、保ち続けることが求められています。神の国に招かれた私達は、その国にいる喜びと恵みに感謝しましょう。その恵みを理解せず、感謝できなければ、降り注いでいるはずの恵みを感知できずに不安や不満を抱くようになり、枯渇し、神の民の恵みを自ら失うことになります。私達は神の国に招かれ、又、神の国を受け継ぐ者としての恵みを感謝し、信仰を最後まで貫き、「神の国を広げる」という尊く、且つ素晴らしい御業にしっかり関わっていけるよう、神様に願い求めてまいりましょう。