「救いの御業」と「あなたの信仰」 平賀真理子 伝道師

/n[詩編] 145編10-21節 10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ 11 あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。 12 その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。 13 あなたの主権はとこしえの主権/あなたの統治は代々に。 14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます。 15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。 16 すべて命あるものに向かって御手を開き/望みを満足させてくださいます。 17 主の道はことごとく正しく/御業は慈しみを示しています。 18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし/まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし 19 主を畏れる人々の望みをかなえ/叫びを聞いて救ってくださいます。 20 主を愛する人は主に守られ/主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。 21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは/世々限りなく聖なる御名をたたえます。 /n[マルコによる福音書] 5章21-43節 21 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。 22 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、 23 しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」 24 そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。 26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。 27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。 28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 29  すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。 30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。 31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」 32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。 34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 35 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」 36 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。 37 そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 38 一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、 39 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 41 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 42 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。 43 イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。 /nはじめに  今日の聖書は、異教の町ゲラサから、再びユダヤ教の町へ、イエス様がガリラヤ湖を渡って戻って来られたところから始まります。戻ってすぐイエス様のもとに、ユダヤ教の会堂長(会堂を管理したり礼拝の準備などをする、責任ある役職)のヤイロがやってきます。地位ある人々にとってイエス様とかかわることは、イエス様がそれ迄のユダヤ教の指導者達とは違った方法で人々をひきつけていることで、あまり良いことではなかったはずです。しかしヤイロは、最愛の娘が死にそうであり、この世に娘を救う力がないことを悟り、この世の価値観やプライドを全て捨てて「イエス様の御業による救い」に自らと娘を賭けました。「娘に手を置いてくれさえすれば娘は助かる」というヤイロの信仰に応え、イエス様は彼と共に出かけます。 /n救いの御力  ヤイロの娘を助けに行く途中、聖書には、長い間、出血に苦しんでいた「長血の女」が登場します。全財産を費やして病の回復を求めますが病気は益々悪くなります。病気という身体の辛さに加え、社会からも忌み嫌われ(汚れている者。レビ記15:25-)、精神的にも追い詰められていた筈です。主の救いを正面からねがうことも出来ない彼女は、それでも「救いの御力のおこぼれ」を願いイエス様の服に触れます。するとすぐに病気が癒されたことを感じました。注目すべきはその直後のイエス様の言動です。「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『私の服に触れたのはだれか』と言われた」(30節)。癒しの奇跡。それはイエス様の御力が人の上に流れ出て起こるものであるということがわかります。ここで、更に思いめぐらせていただきたいのは、弟子達も言っている通り、多くの群衆が、さまざまの角度からイエス様の服に触れている場面です。その中で、主の溢れる御力をもって癒しのわざをいただいたのは、この世に救いがないことを知り、打ち砕かれた心で、切実な思いでイエス様により頼んだ「長血の女」だけだったのです。ひれ伏してすべてを告白した彼女に、主は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」と祝福の言葉を贈られました。 /n「あなたの信仰があなたを救った。」  彼女を救ったのは主イエスの御力です。彼女の切実で、もうこれしかないと切羽詰まったその信仰、主の前にひれ伏すような全てを投げ打つ信仰によって、主の御力の一部が流れ出て彼女は癒されました。苦しい試練を耐え忍び、あきらめてしまわず、投げやりになってしまわず、どうせ私なんか救われる価値がないなどと言わずイエス様を信じた彼女の信仰に対してイエス様は喜ばれ,「もう病気にかからず、元気に暮らしなさい」という励ましの言葉をかけられました。この時代、病気は神様に罪を犯した罰と考えられていました。それゆえ女性は、身も心も癒されました。これが「長血の女」の身の上に起こった「救いの御業」です。 /n信じ続けなさい  イエス様がまだ話しておられる時に、ヤイロのもとに、娘が死んだという報告が届きます。しかしイエス様はヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言われました。「信じなさい」の元々の言葉には、「信じ続けなさい」という意味が含まれています。「信じる」ことをやめずに信じ続けた結果、彼らは「ヤイロの娘が死から甦って生きる」という救いの奇跡の御業を見ることができました。 /n主を呼ぶ人すべてに近くいまし・・主を畏れる人々の望みをかなえ・・  私達の信仰はどうでしょうか。「この世に救いはない。主により頼むしか救われない」と、主の御前にひれ伏し、「救いの御業・恵みの御業」をいただく日々でしょうか。主は「打ち砕かれたあなたの信仰」を見ることを喜び、祝福して下さいます。詩篇145編は、倒れようとする弱い者を一人ひとり支え、苦しみや試練などでうずくまっている人を起こして下さる主に向かっての信頼が詠われます。主は、へりくだって、ただひたすら切実に主を求める者を憐れみ、救う為にすぐそばにいて下さいます。礼拝にあずかり、主が生きて働いて下さる幸いをいただきましょう。