「恵みによって救われる」 佐藤義子 牧師

/n[イザヤ書] 60章1-3節 1 起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。 2 見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。 3 国々はあなたを照らす光に向かい/王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。 /n[使徒言行録] 15章1-21節 1 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 2 それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 3 さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 4 エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 5 ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。 6 そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。 7 議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。 8 人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。 9 また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。 10 それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。 11 わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 12 すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。 13 二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。 14 神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。 15 預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。 16 『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。 17、18 それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』 19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。 20 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。 21 モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」 /nはじめに  今日の聖書は、見出しに「エルサレムの使徒会議」とありますように、イエス・キリストの福音が正しく宣べ伝えられていくために、正式な会議を必要とするほどの問題が起こったこと、そしてその会議を通して意見の対立がおさまり、重要なことが決定したことが記されています。そもそも、信仰の世界に会議など必要かと疑問に思う方もおられるでしょう。信仰は一つ、真理も一つですから、正しい信仰を持ち合わせていれば、意見の対立などないのでは・・と考えるのは自然です。しかし2節に、パウロやバルナバと、(異邦人にも割礼を要求する)ユダヤ人キリスト者の間に、激しい意見の対立と論争が生じたとあります。なぜでしょうか。 /n論争点  問題は、「異邦人キリスト者にも割礼が必要か。そしてモーセの律法を守らせるべきか」でした。厳格なユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人は、異邦人キリスト者も又、律法を守るべきであり、割礼も当然受けるべきであると主張しました。パウロやバルナバは、律法や割礼を否定していたわけではありません。むしろ、律法を神の御心として大切に守っていたことでしょう。けれども、律法を守らなければ、そして、割礼を受けなければ、神の恵みの中には入れない、救われないと主張する点においては、彼らに同意することは出来ませんでした。神様の恵みは、イエス様を信じる信仰において現れたからです。もし律法を守らなければ救われないという条件を付け加えるならば、それは、信仰からもイエス様からも外れることになることをパウロ達は主張しました。この議論は決着しなかった為、アンティオケ教会はパウロとバルナバの他、数名をエルサレムに派遣しました。 /nエルサレム会議  会議では「異邦人改宗者は、旧約の律法なしに救われるのか、それとも、律法を守らなければ救われないのか」、どちらが正しいかを判断する会議でした。議論を重ねた後、ペトロが自分の体験を語りました。それは以前、幻によって異邦人コルネリウスの家に行き、福音を語った時、集まった多くの異邦人に聖霊が降った出来事です(使徒10:44-)。ペトロは、この聖霊の賜物の中に神様の完全な恵みが含まれているのを見ました。人間は御霊によって神様と結ばれ、キリストと一つとなり、赦し、あがないにあずかり神の国の一員とされるのです。律法を持たず汚れていた異邦人に、神様は信仰を与えることにより彼らの心を清められました。心の中に御言葉が保たれてイエス様に従うことが、キリスト者の清さであること。又、律法を守らせたり、割礼を受けさせようとすることは、先祖や自分達が負いきれなかった軛(くびき)を負わせることであり、神様を試みることになること。神様は、イエス・キリストの恵みによって、私達に永遠の賜物を与えて救いに入れて下さることを語ったのです。 /n全会衆は静かになり、一致に向かう  ペトロに続き、バルナバとパウロも自分達を通して神様が異邦人の間で行なわれたすべての不思議な業を証言しました。又ヤコブも、異邦人キリスト者のことは旧約聖書に預言されており、すべての国民のために神の国は開かれているのであるから、異邦人を悩ませずに以下の三つのことだけを守るように・・第一に、偶像にささげられた肉から遠ざかること。第二に、みだらな行い(たとえば遊女との交際)を避けること。第三に、絞め殺した動物の肉と、血とを避けること(律法では、血は命の担い手として尊重することを求めている)を提案し、会議はこれを承認しました。 私達は今日の聖書から、人は律法を守ることで救われるのではなく、主イエス・キリストの恵みによって救われることを深く心にとめたいと思います。又、意見の対立は起こり得るけれども、神様を仰ぎ、御心と御言葉に耳を傾ける時に教会に一致がもたらされることを覚え、キリストの恵みから離れずに信仰の歩みを続けていきたいと願うものです。