「心を開かれる」 牧師 佐藤義子

/n[詩編] 33編1-11節 1 主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。 2 琴を奏でて主に感謝をささげ/十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。 3 新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。 4 主の御言葉は正しく/御業はすべて真実。 5 主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。 6 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。 7 主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた。 8 全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく。 9 主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ。 10 主は国々の計らいを砕き/諸国の民の企てを挫かれる。 11 主の企てはとこしえに立ち/御心の計らいは代々に続く。 /n[使徒言行録] 16章11-15節 11 わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、 12 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。 13 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。 14 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 15 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。 /nはじめに  先週の礼拝で、パウロ達がマケドニアで伝道する使命を確信し、トロアスからマケドニアに向けて出発することを見ましたが、今日は彼らがサモトラケ島に直航し、翌日、港町ネアポリスに着き、そこから北西13キロにあるフィリピの町に滞在をした時の出来事です(聖書の後ろの地図8参照)。 /n伝道  当時のキリスト教伝道は、まず、伝道地にあるユダヤ人の会堂で「十字架にかけられて死んだあのイエスこそ、神の子・救い主である」こと、「罪を悔い改めてイエス・キリストの福音を信じることによって救われる」ことを宣べ伝えていました。しかし、このフィリピの町にはユダヤ人の会堂がなかった為、パウロ達は安息日を待ち、祈り場になっていると思われる川岸に出かけて行きました。そこには祈る為に集まっていた婦人達がいたのでパウロ達もそこに座りました。そしてこれまでのように、イエス・キリストの生涯と教え、十字架の死と復活の出来事、天に昇られたイエス様は今もなお私達に聖霊を送って下さり導いて下さっていること、イエス・キリストを通して私達は父なる神様を知ることができること、私達はイエス・キリストを信じることによって、恵みによって救われ、永遠の命をいただけることなど、ここでも真剣に語ったでありましょう。 /nひとりの婦人  婦人達の中にリディアという女性がおりました。14節後半に「主が、彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあります。神様を崇めていたリディアの心を神様が開いてくださることによって、リディアはパウロの語る言葉を聞いて、信じることができたのでした。 /n信仰  イエス様が生きておられた時代は、イエス様が神の子であり救い主であることを信じるように人々は招かれ、悔い改めてイエス様を信じる者は救われて、平安と喜びが与えられました。イエス様が死なれて、三日目に復活され昇天された後は、弟子達によってイエス様の十字架の死と復活が語られました。「イエス様は、神様が人間を救う為に遣わして下さった方であり、十字架は私達の罪の赦しのためであり、私達は罪を悔い改め、イエス様を信じることによって救われる」ことが語られました。 信仰は、弟子達(宣教をする者)を通して語られる神様の言葉を聞いて、信じて受け入れることです。神様からの呼びかけに対する人間側の応答として「信じて従っていこう」という自己決断です。ところがコリントの手紙では、「<span style="font-weight:bold;">誰も、聖霊によらなければ『イエスは主である』とは言えない</span>」(12:3)とあり、又、ガラテヤ書には「<span style="font-weight:bold;">霊を受けたのは、福音を聞いて信じたから</span>」とあります。それゆえ信仰は、聖霊の助けなくしては自己決断が出来ず、福音を聞いて信じる用意がある時に聖霊が与えられることを知ることができます。 /nリディアの申し出  リディアは、パウロ達一行の滞在先として自分の家を開放したいと申し出ます。15節には「無理に承知させた」とありますので、パウロ達は、この申し出を初めは断っていたようです。その理由として考えられるのは、パウロ自身、自分の生活は自分の労働で支えることを原則にしていたことです。彼は手紙で、「私達は、・・誰からもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、誰にも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。援助を受ける権利が私達になかったからではなく、・・(略)。私達は『働きたくない者は、食べてはならないと命じていました。』」と書いています。 さて、リディアの心を開いて下さったお方は、今も私達に働いておられます。私達も神様の前に心を開かれるように聖霊の導きを祈りましょう。そしてそこから、他者への愛の行為へと導かれたいと願うものです。