ペンテコステ礼拝 説教要旨  「約束の聖霊が降る」 佐藤義子 牧

/n[ヨエル書] 3章1-5節 1 その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。 2 その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。 3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。 4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる。 5 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。 /n[ヨハネによる福音書] 14章15-26節 15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。 23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。 25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 /nはじめに  本日はペンテコステ「聖霊降臨日」の記念礼拝です。聖霊降臨とは聖霊が私達人間の間に降ることです。今から約2000年前のユダヤ教の五旬節という祭りの日に、エルサレムで弟子達の間に降りました。この時の様子が使徒言行録2章に記されています。弟子達をはじめ、イエス様を信じる人々が集まって祈っていた朝、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、家中に響き、炎のような舌が一人ひとりの上にとどまり、弟子達は聖霊に満たされて、エルサレムに来ていた大勢の人々に、彼らの出身地の言葉で、神様の偉大なわざについて語り出しました。この日、弟子達の言葉を聞いて信じてバプテスマを受けた人々が3千人にのぼり、このペンテコステが教会の誕生日といわれています。 /n預言の成就  聖霊降臨については紀元前5世紀に記されたヨエル書に「私はすべての人にわが霊を注ぐ」(3:1)と預言されていました。「わが霊」とは、神様の息・神様の力を意味します。「人」は神様が命の息を吹き入れられて生きた者になりましたが、その「神様の息」が「霊」という言葉です。 ヨハネ福音書でも、イエス様の告別の説教と呼ばれる14章から16章で、聖霊を与えて下さる約束と、聖霊の働きについて、語られています。さらに、イエス様が十字架で死なれ、三日目に復活されて天に昇られる前、使徒言行録1章4節で、イエス様は再び聖霊が降る予告をされています。そして、ついに約束は成就して、五旬節に弟子達の間に聖霊が降りました。 /n聖霊の働き  この時から今に至るまで、聖霊はたびたび信仰者の間に働かれています。特に使徒言行録では、使徒達が説教をした後で信じる人々が起こされること、神様への讃美と信仰告白が生れることを通して、聖霊の働きを見ることができます。今の時代においても、聖霊が働く時はいつもそこに、讃美と信仰の告白が生れるのです。 /n「聖霊」は、教え、キリストの言葉を思い起こさせる  今日の聖書で、イエス様は、「<span style="font-weight:bold;">あなた方は、私を愛しているならば、私の掟を守る</span>」(15節)。「<span style="font-weight:bold;">私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である</span>」(21節)。「<span style="font-weight:bold;">私の父はその人を愛され、父と私とはその人の所に行き、一緒に住む</span>」(23節)。「<span style="font-weight:bold;">父がお遣わしになる聖霊が、あなた方にすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせて下さる。</span>」と語られています。聖霊は、私達がイエス様を愛し、互いに愛し合う時に私達と一緒に住んで下さり、私達を教え、イエス様の言葉を思い起こさせて下さいます。そして聖霊は「すべての人に」与えられる約束です(ヨエル書)。 /n応答としての信仰  ヨハネの手紙に、「私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者達、神がこのように私達を愛されたのですから私達も互いに愛し合うべきです。」(4:10-)とあります。信仰とは、神様の呼びかけに応答することです。私が神様を求める以前に、神様がすでに私達を見いだし、愛し、私達に呼びかけておられます。又、信仰とは、神様を信じ、イエス・キリストを信じることです。しかし、聖霊の働きなくしては、誰も「イエス様は私の救い主です」と告白できません(一コリント12:3)。それゆえ、イエス様は私の救い主である、と信じることができたならば、そこに聖霊の働きがあったことを知り、感謝して受けましょう。 /n聖霊の働きを見る  イエス様の約束通り、神様はイエス様の名によって「聖霊」を私達に送って下さっています(26節)。仙台南伝道所の歩みを振り返る時、数多くの神様の業を見ます(何よりも、教会のないところに教会の群れができたこと)。そこには、聖霊の働きがあったと告白せざるを得ない恵みが数多くありました。これからもあり続けるでしょう。  今日の聖霊降臨日にあたり、ここにいるすべての方が、聖霊を豊かに受けて、神様の業が私達を通しておこなわれますよう、祈るものです。