説教要旨 「主の憐みと恵みの糧」 平賀真理子 伝道師

/n[民数記]11章10-13節 10 モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。 11 モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。 12 わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。 13 この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。 /n[マルコによる福音書]6章30-44節 30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。 31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。 33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。 34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 35 そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。 36 人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 37 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。 38 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」 39 そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 40 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。 41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。 42 すべての人が食べて満腹した。 43 そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 44 パンを食べた人は男が五千人であった。 /nはじめに  イエス様がなさった奇跡で、四つの福音書に共通しているのは、今日の「五千人に食物を与える」話だけです。マルコ福音書では、この「奇跡」がなされる前にイエス様と弟子達の状況がどうであったのか詳しく書かれています。12使徒は、イエス様から汚れた霊に対する権能を授けられて各地に派遣され、悔い改めに導く宣教と、悪霊を追い出し、病人の癒しをした後、イエス様の所に戻り、自分達の活動報告をしました。イエス様のもとには出入りする人が多く食事をする暇もなかったので、イエス様は弟子達に、人里離れた所に行って休むように言われました。ところが船で脱出した一行を見つけた群衆は、何と、徒歩で先回りしたとあります。イエス様はこの大勢の群衆を見て、「飼い主のいない羊のような」有様を深く憐れまれ、いろいろ教えられました。 /n有るものに目を注ぐ  時がだいぶたち、群衆の食事の心配をした弟子達は、この人々を解散させようとしましたが、イエス様は弟子達に彼らの食事の世話をするよう、命ぜられました。お金も食材もなく人里離れた場所では店もなく、弟子達が「そんなことは出来ない」と思ったであろうことは想像出来ます。 しかしイエス様は、「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」と言われました。「・・しかない」ではなく、イエス様は「有るものに目を注ぎなさい」と問いかけるのです。弟子達は確かめて「五つあります。それに魚が二匹です」と答えています。わずかな物でも「これだけ有ります!」と主の前に差し出す。そこを始まりとして恵みが広がっていきます。そして「奇跡」が始まります。イエス様は、群衆を組に分けて座らせ、天を仰いで賛美の祈りを唱えてパンを裂き、配り、二匹の魚も皆に分配されました。 /n旧約聖書における神様の憐れみ  エジプト脱出後、イスラエルの民は砂漠での空腹に耐えられずモーセに対して不満を言いましたが、神様は天からマナ(食べ物)を与えられました。又、今朝の民数記では、民が再び食べ物のことでモーセに不満をぶつけるので、神様は「肉」を与えるとモーセに言われました。モーセは60万の民にそれは不可能であると答えますと、「<span style="font-weight:bold;">主の手が短いというのか。今、あなたに見せよう</span>」と言われました。そして主のもとから風が出て、海の方から「うずら」を吹き寄せ、イスラエルの民のテント近くに広大な範囲にわたり「うずら」は落ちて積り、民はそれを食したのです。 /n12の籠  伝道に派遣され、旅から戻り、休む間もない弟子達でしたが、彼らは「神の国」をこの世に実現する為の働き手として、神の国を表わす「奇跡」に立ち会うことになりました。全ての人が、主の憐みによって与えられた恵みの糧で、霊的にも肉体的にも十分満たされ、「<span style="font-weight:bold;">パンの屑と魚の残りを集めると、12の籠に一杯に</span>」なりました。12は聖書ではイスラエル12部族を示すことが多くありますので、ここではイエス様は、旧約聖書を通して神様を証ししてきたイスラエルの民全体に遣わされた救い主(メシア)であることを示していると考えられます。そしてイエス様が来られた新約聖書の時代以来、イエス様は「神の民・イスラエル」に代わり、今や、「信じる者すべての人」の救い主(メシア)です。 /n主の憐れみは日毎の糧にも及ぶ  私達が信じて従うイエス様は、食べ物を必要とする私達を分かって下さり、憐れんで下さる神様であり、実際に私達を養って下さいます。恵みを与えて下さる神様に感謝しています。 私達は日毎の糧を必要とする一方で、「<span style="font-weight:bold;">キリスト・イエスのものとなった人達は、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです</span>」(ガラテヤ5:24)とあります。罪の赦しの洗礼を受けたにもかかわらず、私達は時としてわがままな思いに引きづられたり、神様を忘れて自分勝手な行いを度々してしまいます。そのような私達に対しても、神様は大いなる救いの手をもって日々、神の国へ招きイエス様の十字架と復活による「救い」に与らせて下さいます。そのことを覚え、悔い改めと心からの感謝をささげます。 最後にルカ福音書12:29-32をお読みします。 >> 「<span style="font-weight:bold;">あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。</span>」 <<