説教要旨 「恐れるな。語り続けよ。」 牧師 佐藤義子

/n[詩編] 111編4-8節 4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み 5 主を畏れる人に糧を与え/契約をとこしえに御心に留め 6 御業の力を御自分の民に示し/諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。 7 御手の業はまことの裁き/主の命令はすべて真実 8 世々限りなく堅固に/まことをもって、まっすぐに行われる。 /n[使徒言行録] 18章1-11節 1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。 8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。 /nはじめに  本日は、パウロの第二回目の伝道旅行の最後の伝道地となったコリントでの出来事を通して学びたいと思います。  コリントは、紀元前27年にはローマのアカイア州の首都となり繁栄しましたが、不道徳な町でも有名でした。パウロは職業が同じであったユダヤ人夫婦(アキラと、その妻プリスキラ)の家に拠点を置き、一緒に仕事をしながら安息日になるとユダヤ人の会堂に行き、そこで伝道しました。  ベレアの町で別れた旅の同行者シラスとテモテがコリントに到着し合流すると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人にメシアはイエスであると力強く証しをしました。しかし、福音を受け入れずにパウロに反抗し、口汚いののしりが激しさを増す中で、パウロは宣教を中止し「あなた達の血はあなた達の頭に降りかかれ。私には責任がない。今後、私は異邦人の方へ行く」と宣言したのです。「福音を受けつけずに追い出す者は、そのことの責任は、すべて彼ら自身が負わなければならない」ということです。 /nそれでも神の業は起こる  パウロは、アキラ夫婦の家を出て、ティティオ・ユストというユダヤ人の会堂の隣にある家に移り住みました。今度はそこが伝道の場となり、ユダヤ人の会堂長クリスポと言う人がユダヤ教から改宗し、一家をあげて信仰者となりました。さらに、この地において多くの人々がパウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けたと報告されています。コリントの町は道徳的にかなり堕落していた町でしたが、それにもかかわらず、神を信じ、イエス・キリストを信じる人達が多く起こされた町となりました。 /n主イエスの御声  ある夜、パウロは幻をみて主イエスの声を聞きます。  「<span style="font-weight:bold;">恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だからあなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ</span>」 パウロはこれまでも、主が共にいて下さることを信じて疑いませんでした。彼が語るところではいつも反抗し迫害をする人々がおり、命を狙われて逃げなければならなかったことも度々ありました。しかし主は幻を通して、この町には主の民が大勢おり、更に、危害を加える者はいないとパウロ達の安全を約束されました。  この幻に力づけられ、パウロ達は一年半の間ここで伝道を続けました。 /n「<span style="font-weight:bold;">恐れるな。語り続けよ。</span>」  このみ言葉は、主が私達にいつも語りかけて下さる励ましの言葉でもあります。日常生活の中で友人・知人に伝道していこうとする時、或いは、正しいことを語ろうとする時、私達は相手がどのように反応するかがわからず不安を覚えることがあります。相手に嫌がられないか、出来るなら今の関係を壊したくない・・など「人」を恐れ、言葉が止まることもあります。しかし、私達が主の、この励ましの言葉を聞き神の約束を確信する時に、私達は語り続けることができるのです。  私の母教会の故大谷賢二牧師は、東京の大井町で開拓伝道を始めましたが、伝道の妨害が激しく、路傍伝道中、度々やくざに囲まれたり、又、戦争中は戦争反対者として毎日のように官憲から圧迫を受けたそうです。しかしどのような時も、救われた平安と喜びは消えず、その土台は「私は救われている」との確信であったと語られていました。 /n「<span style="font-weight:bold;">御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい</span>」(二テモテ4:2)  ロマ書には、信じたことのない方を呼び求めることは出来ない。聞いたことのない方を信じることは出来ない。宣べ伝える人がいなければ聞くことは出来ないとあります(10:14)。私達はパウロのようにではなくても、自分の身に起こったこと、起こっていることを伝えることは出来ます。  今週も、「<span style="font-weight:bold;">恐れるな。私があなたと共にいる。</span>」と、言われる主から勇気と励ましを戴きながら歩みたいと願うものです。