「異邦人の女の信仰」 伝道師 平賀真理子

/n[イザヤ書]56章6-8 6 また、主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら 7 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。 8 追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる/既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。 /n[マルコによる福音書]7章24-30節 24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。 26 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。 27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」 28 ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」 29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」 30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。 /nはじめに  今日の聖書は、イエス様がティルスという地方に来られたところから始まります。ここで、「異邦人の女」がイエス様の足元にひれ伏し、必死の思いで娘にとりついた悪霊を追い出すよう依頼します。しかしイエス様は、「まず、子供達に十分食べさせなければならない。子供達のパンを取って、子犬にやってはいけない」と語ります。つまり「父なる神様の御計画通り、まずユダヤ人(イスラエル民族)に救いの恵みを与えなければならない。まだそれが終っていない。その前に異邦人に救いの恵みを授けることは、神様の秩序に反する」という意味です。その言葉に対して異邦人の女は、イエス様に「主よ」と呼びかけ、イエス様が救い主であることを告白します。(マタイ福音書15章では「主よ、ごもっともです」と、素直に受け止めています)。そして「食卓の下の子犬もパン屑はいただきます。」と続けました。  つまり、イエス様の救いの恵みはとても豊かであるから、私はそれを慕い求めて足元におります。私は異邦人ですがユダヤ人(イスラエルの民)に与えられる恵みのおこぼれなら、いただいても神様のご意志に逆らうことにならないのではないでしょうか。」という機知に富む答えをしたのです。  そこでイエス様は、ご自分を「主」と崇め主の御心を第一にしながらも娘のために癒しを願ったこの異邦人の母親の信仰に答えて下さいました。 /nユダヤ人と異邦人  イエス様が地上から去られた後の弟子達による宣教の歩みが、使徒言行録に記されています。それによりますと、多くのユダヤ人達はイエス様の十字架による死や復活につまずき、イエス様が罪の支配下に置かれている人間を救う為に神様から遣わされた救い主であることを激しく拒み、使徒達の宣教を妨害し、その命さえもねらいました。その結果、福音伝道はユダヤ人だけでなく異邦人にも向けられ、パウロ達の伝道旅行によってアジアからヨーロッパの異邦人に伝えられ、多くの異邦人が救われました。その後、アフリカやアメリカ、更に全世界に告げ知らされていきました。 /n全人類の救いのために  ロマ書11章に「<span style="font-weight:bold;">一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。…神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです</span>」(25・32)とあり、ガラテヤ書3章には「<span style="font-weight:bold;">あなた方は皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです</span>」(26)とあります。 /nキリスト者は新しいイスラエル  このように、イエス様の十字架と復活による贖いの結果、私達異邦人も、イエス様の名によって神様から子供として、御国の民として認められるようになりました。かつてのユダヤ人・異邦人の区別はなくなり、全人類が神様からの救いにあずかる道が開かれました。今や、キリスト者は新しいイスラエル=神の民であり、神様の支配を受ける恵みを与えられています。神の国の住人として、すでに数えられているのです。さらに、主に倣う者として生きるようにと、神様は私達のそれぞれ賜物に応じて期待して下さっています。そのような深い神様の愛に応えていきたいと願っています。 /n神の民としてふさわしく生きよう  かつて、罪に支配されて生きていた時の自分と比べて、今現在の自分は、主の住みたもう「宮」となっているのか、又、自分の欲中心ではなく、御霊によって新たに造り変えられて、「神の国の民」としてふさわしい生き方をしているのだろうか・・など、自分自身の信仰や、日々の生活を吟味したいと思います。  「<span style="font-weight:bold;">何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。</span>」(マタイ6:33)と御言葉にあるように、今週一週間、第一に神様の御心を尋ね求めていけるように、そのように生きる喜びを与えられたいと願っています。