「マリアの賛歌」 平賀真理子 伝道師 

/n[創世記]22章15-18節 15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。 18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 /n[ルカによる福音書]1章46-55節 46 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、 47 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、 49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。 51主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、 52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、 53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。 54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、 55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 /nはじめに  今日から待降節(アドウェント)の期間に入りました。日本の暦ではお正月のようなものです。しかし教会暦は、降誕(主イエスがお生まれになった)から始まらずに過去にその出来事を実際に起こして下さった「神様の愛」を思い起こして感謝し、再び主が来たりたもう日を準備しつつ待ち望む、という『準備』の期間をわざわざ先頭にしています。福音を告げ知らされている者として、主の来臨に対する「心の準備」をどのようにすればよいのか「マリアの賛歌」を通して学びたいと思います。 /nマリアの賛歌  ルカによる福音書一章には「荒れ野の道を整える者」=神の御子の行く道を準備する者として「洗礼者ヨハネ」の誕生のいきさつが書かれています。そこから既に、神様のご計画が始まっています。そして天使ガブリエルのマリアへの受胎告知、洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトからマリアへの祝福があります。その後に、マリアの賛歌・・つまり「神への信仰を告白し、主を褒め称える歌」が献げられているのです。ルカ福音書の第一章は、献呈の言葉を除き、神への感謝、信頼、賛美に溢れており、「マリアの賛歌」で頂点に達します。 /n神様への感謝  マリアの賛歌は大きく三つに分けられます。第一部は、救い主の母に選ばれたことの神様への感謝です。力ある方が身分の低い人間を選び、神様の御計画に用いたことへの賛美と感謝です。当時のイスラエル社会の中で、全く力のない女性が選ばれたことは、まさしく神様の憐みの故です。 /n神様の御性質  第二部は、イスラエルを愛された神様の御性質をくわしく説明しています。まず、主を畏れる者に限りない憐みを注がれることが証されます。次に神様は、この世で力を持っておごり高ぶる者を評価されないどころか、その全能なる御力で、低い地位に追い落とすことが表明されます。傲慢な者をしりぞけるお方です。別の表現として、食べ物や持ち物などがない人には良いもので満たし、逆に、多くを持っている人からは取り上げて追い返すと言っています。(イザヤ書57章15節にはへりくだる者の祝福が、61章1節には貧しい者への福音が預言されています)。 /n信仰の表明  第三部は、神様が、かつてイスラエル民族と結んだ約束を忘れずに、アブラハムとその子孫を神様の祝福の下に繁栄させてくださるという信仰の表明です。この賛歌を通して、イスラエル民族がいかに「主を畏れかしこむ」生活を、代々受け継いできたかが分かります。マリアという、平凡な田舎の少女でさえも、イスラエル民族と神様との約束やその歴史を知っているのです。この世界を創られた唯一の神様を信じ続け、その信仰を継承し続けてきたイスラエル民族は、やはり偉大だと感じずにはおれません。自らを熱情の神として、何千年の歴史を通してイスラエル民族を愛し続けた神様の執念深さに、イスラエル民族は、応答する意志を継続できる民族なのです。マリアのように、すぐ神様の招きに応答できる信仰を培ってきているのです。 /nアドヴェント  アドヴェントは、主の来臨を待ち望む心の「準備の時」ですが、「悔い改めの時」でもあります。神様は独り子イエス様の「十字架の死」という犠牲を払い、人間が罪からあがなわれて永遠の命を与えるにふさわしい者となるよう求めておられます。へりくだって十字架の死に至るまで従順であられた主に倣う者としてこの時期を過ごしましょう。