「救いのおとずれ」  牧師 佐藤義子

/n[イザヤ書]35章1-10節 1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。 2 花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。 3 弱った手に力を込め/よろめく膝を強くせよ。 4 心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」 5 そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。 6 そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。 7 熱した砂地は湖となり/乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは/葦やパピルスの茂るところとなる。 8 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ/愚か者がそこに迷い入ることはない。 9 そこに、獅子はおらず/獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み 10 主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。 /n[マタイによる福音書]9章9-13節 9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 /nはじめに  クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、なぜおめでたいのでしょうか。それはイエス様が生れた日だからです。全世界の全ての人間、過去に生れてきた人も今いる人も、これから生れて来る人も含めて、全ての人間の為に、神の御子イエス様が生まれてこられました。「クリスマスおめでとう!」「イエス様が私の為に生れて来て下さった!」と喜びつつお互いに言い合えるように、今朝の御言葉に耳を傾けたいと思います。 /n徴税人  今日の聖書には、「徴税人」が登場します。当時の社会では、住民から取り立てる税額が徴税人の裁量に委ねられていたので、過酷な課税となることが多く、徴税人は民衆からは嫌われていました。さらに徴税人はこの仕事を、ローマという異教の神々を信じる外国から請け負っていた為にユダヤの民から見れば、自分達を苦しめる売国者であり、彼らは日常的に異邦人に接している宗教的に汚れた人々でした。ユダヤの律法では、徴税人が会堂に入ることを禁じるほど、彼らは宗教的な意味では失格者でした。その徴税人であったマタイに、ある日、イエス様は声をかけられました。 /n「<span style="font-weight:bold;">わたしに従いなさい</span>」  イエス様はなぜマタイに目をとめられたのでしょうか。12節に「イエスはこれを聞いて言われた。『<span style="font-weight:bold;">医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。</span>』」とあります。これによれば、イエス様はマタイが病人であり、医者を必要としていることを見抜かれた、ということです。この時マタイが素直にイエス様に従ったのは、自分が医者を必要としていたことを知っていたのでしょう。すなわち、満たされない思い、生きる喜びの欠如、神様との間に平和がなかったのでありましょう。もう一つはイエス様との出会いです。これ迄、彼が耳にしていたイエス様のうわさ(イエス様の愛の教え、イエス様のなさった数々のしるし、そして何よりもイエス様が弱い者、貧しい者、疎外されている者に対して分け隔てなく愛されているうわさなど)が本当であるとの確信を得たのでしょう。 /n徴税人を選ぶ  イエス様の徴税人マタイへの呼びかけは、イエス様がその人の過去を問わないということが明らかになりました。そして御命令はただ一言、「わたしに従いなさい。」です。このあとイエス様と弟子達は、多くの徴税人や罪人たちと食事を共にいたしました。このことは当時のファリサイ派の人々(人々に律法を正しく教え、従うように指導していた人々)を困惑させました。彼らの教えでは、徴税人や罪人と称されている人々を受け入れてはいけないのです。正しい者は悪人から遠ざかり、聖なる者として生きなければならないと教えられていたからです。そのような彼らにイエス様は「<span style="font-weight:bold;">神様が求めるのは、いけにえではなく憐れみである</span>」とのホセア書の言葉を学ぶように言われました。どんなに神様に奉仕をしても隣人への憐れみがなければ、神様は喜ばれないからです。 /n「<span style="font-weight:bold;">私が来たのは正しい人を招く為ではなく、罪人を招く為である。</span>」  ファリサイ派の人々に対してイエス様は、ご自分がこの世界に来られた目的を話されました。イエス様は、「自分は正しい」と考えている人々の所にはおいでになりません。医者が「自分は健康だ」と言う人達を無理やり治療しないのと同じです。しかし、自分は罪ある者、自分に医者は必要であると考えている者には、イエス様は来て下さいます。 /nクリスマス  クリスマスは、イエス様が「私のため」にこの地上に来て下さった日です。私達と神様との間に平和をもたらす為に、闇から光の世界に招く為に、来て下さったイエス様を、ご一緒に心からお迎え致しましょう!