「すべて心に納めて」 伝道師 平賀真理子

/n[箴言]3章1-6節 1 わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。 2 そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう。 3 慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び/心の中の板に書き記すがよい。 4 そうすれば、神と人の目に/好意を得、成功するであろう。 5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。 /n[ルカによる福音書]2章13-21節 13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 /nはじめに  今日は、降誕節第1主日です。主の誕生の喜びを再び思い起こし、主のご降誕物語をルカによる福音書から共に聴きたいと思います。ルカ福音書では、洗礼者ヨハネと神の御子イエス様の誕生が対比されて書かれています。一つは、天使による「誕生」のお告げにおいてです。洗礼者ヨハネは、「祭司」という良い家柄のザカリアにお告げがあり、イエス様は、貧しいヨセフの「いいなずけ」であったマリアに告げられました。ザカリアは、主のお告げを信じられず、その結果口がきけなくなります。一方イエス様の母マリアは、一度は疑念を挟みますが、すぐ「お言葉どおり、この身に成りますように。」と主にすべてを委ねる信仰を告白しています。まさに、「主は心の中を測られる」(箴言21:2)のです。 /n預言者と、神の御子  洗礼者ヨハネとイエス様の役割はどうでしょうか。父親ザカリアの賛歌に「幼子(ヨハネ)よ、お前は、いと高き方の預言者と呼ばれる。」(1:76)と、あくまで人間です。しかしイエス様は神の御子です。天上で(神様の下で)讃美礼拝をしていると考えられていた大勢の天使達が、イエス様のご誕生の時だけ(歴史上ただ1回)、この地上で讃美が起こりました。そのことは、神様と同じく偉大な御子イエス様が、この世に人間として生まれて下さったから起こり得たことであることを示しています。 /n証しとそれを聞いた反応  この御子誕生という素晴らしい出来事(ルカ2:8-14)の証人に選ばれたのは、当時、最も卑しい職業とされていた羊飼い達です。この不思議な出来事を見過ごさず「主が知らせて下さったことは必ず実現する」という信仰を持って、ベツレヘムのイエス様のもとへ行きました。その証を聞いた人の反応が書いてあります。聴衆は、不思議に思っただけでした(2:18)。御子イエス様のご誕生に聞く耳を持つ者は少なかったのです。洗礼者ヨハネの時は、山里中の人々が話題にし多くの人がその誕生に期待しました。 /n心に納める  しかしイエス様の母マリアは、羊飼い達の話を聞いて「<span style="font-weight:bold;">その出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。</span>」とあります。「心に納める」の元々の言葉は「完全に保存する」という意味です。英語では、「treasure」と宝物のように大切に保存するという意味を含みます。又「思い巡らしていた」とは「意味のはっきりしない出来事(しるし)を神の啓示によって解明すること、起きた物事の意味を当てること」を意味します。出来事の一つ一つについて「神様の計らいが何であるかを神様に聞き、従おうとする」姿勢が、マリアの生き方になっていたのではないでしょうか。 /n私達の信仰生活  私達は、主の恵みによって、神の御子イエス様の福音を知り、信じ、従おうとする生活をしています。自分だけの考え、自分だけの力だけで、生きようと苦しんでいたことから解放されました。自分の身の上に起きていることも、神様の御計らいの一つなのだと落ち着いて受け止めることが出来るようになりました。良いことが自分の身に起これば、「神様が何を自分に示されているのか思い巡らすようになります。悪いことが起こっても、「神様に自分を委ねること」を身につけていきます。  信仰生活は「神様の御心に適う」ことを第一とします。そうすることで生活の出来事一つ一つが客観視でき、神様に与えられた愛おしい時間や出来事に変えられ、記憶したくなるものとなります。この世で自分だけで生きていた時とは、時間の意味も、出来事の意味も深まり、その充実感も豊かになります。神様は、御子イエス様をこの世に送り、しかもその命を犠牲にしてまでも、人間を救いたいと思って来られたことが、新約聖書に証しされています。その神様が私達を招いておられます。  一つ一つの出来事に、神様の御心が示されていることを思い巡らし、信仰生活の一コマ一コマを心に保存して、主の御前に豊かな人生をお返しできるように歩んでまいりましょう。 「<span style="font-weight:bold;">主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。</span>」(詩編37:23)