「身をゆだねる信仰」    牧師 佐藤義子

/n[詩編]52章3-11節 力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないが お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。 お前は善よりも悪を/正しい言葉よりもうそを好み〔セラ 人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き/命ある者の地から根こそぎにされる。〔セラ これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。 「見よ、この男は神を力と頼まず/自分の莫大な富に依り頼み/自分を滅ぼすものを力と頼んでいた。」わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。あなたが計らってくださいますから/とこしえに、感謝をささげます。御名に望みをおきます/あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深い/あなたの御名に。 /n[ルカによる福音書]8章40-56節 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。 /nはじめに 今日の聖書には二人の人が登場します。一人は会堂長ヤイロです。会堂長とはユダヤ教の会堂で行われる毎週の礼拝の世話役であり、会堂全体の管理をする、町の有力者でもありました。今ヤイロは愛する一人娘が死にそうな状況にありました。彼は社会的にも経済的にも家庭的にもおそらく恵まれた人生を歩いていたことでしょう。娘は12歳くらいとありますが、これまで娘の成長を楽しみながら育ててきたことでしょう。 /n足もとにひれ伏す信仰 イエス様が向こう岸から戻って来られた時、大勢の群衆がイエス様を迎えましたが、そこにヤイロもやって来て、イエス様の足もとにひれ伏し、自分の家に来て娘を助けて下さるようにと願い出ました。彼が町のリーダー的な存在でありながら、大勢の群衆の前でイエス様の足もとにひれ伏したことから、自尊心を捨てイエス様により頼んでいることがわかります。 /nもう一人の人物 イエス様は、ヤイロの願いを受けて、ヤイロの家に向かう途中、尚、群衆が近くに押し寄せて来ました。その群衆にまぎれこんで、一人の、出血が止まらず、12年間も苦しんでいた女性がおりました。ユダヤ教においては、「血」は不浄であり汚れているとされ、社会生活からも隔離されていました。彼女は「医者に全財産を使い果たしたが、誰からも治してもらえ」ず苦しんでいました。限界を迎えていたことでしょう。残された道はただ一つ、人づてに聞くイエス様の評判です。イエス様なら治して下さるはずだ、と彼女は確信を持ちました。 しかし汚れているということで人前に出ることは禁じられています。それでも出て行くしかありません。彼女は、イエス様に触りさえすれば・・と、群衆にまぎれこみ、後ろから誰にもわからないように、イエス様の服のすそにある房にさわったのです。その途端、いやされました。 /n「私に触れたのは誰か?」 イエス様の、この質問に、ペトロは、群衆が押し合って、たまたまイエス様の身体に触れただけだと答えましたが、イエス様は触れた者を探されました。なぜなら本来、癒しはイエス様と向かい合ってイエス様の御意志のもとに行なわれるべきものだからです。神様の癒しの力がこっそり使われるべきではないのです。女性は震えながら進み出てひれ伏し告白しました。どんな罰が下ろうとも、それを受ける覚悟で名乗り出たのでしょう。ここで彼女は、触れた理由と、癒された奇跡の出来事を告白しました。 /n「安心して行きなさい」 イエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われました。癒したのは神様の力です。しかしその力をいただけたのは12年間の彼女の苦闘の祈りと、イエス様に対する絶対信頼、信仰です。律法を破ったことも、黙ってイエス様の裾に触れて、神様の力をいただいたことに対しても、何のとがめも罰もなく「安心して帰って良い」と今の彼女が最も必要とする慰めと励ましの言葉を、私達はここで聞きます。 /nヤイロの信仰 一方、イエス様を自分の家に案内する途中で、ヤイロは娘が亡くなったとの知らせを受け取りました。しかしイエス様はヤイロに、「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば娘は救われる」と語られました。ヤイロは信じました。家に着くと、イエス様は3人の弟子と娘の両親だけを部屋に入れて、娘に呼びかけられました。そして娘は生き返りました。イエス様がご一緒ならば、恐れることは何もないのです。 聖書はいつも私達に、さまざまな困難にぶつかった時、その苦しみの根本的解決をどこに求めていけば良いのか教えてくれます。それは私達の経験、知恵、知識ではなく、私達に命を与えて生かして下さっている神様であり、御子イエス様です。身を委ねる信仰が求められています。