「神の祝福を拒む者と喜ぶ者」    伝道師 平賀真理子

/n[創世記]1章27-28節、2章24節 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 /n[マルコによる福音書]10章1-16節 (1)イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 (2)ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。(3)イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。(4)彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。(5)イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。(6)しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。(7)それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、(8)二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。(9)従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(10)家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。(11)イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。(12)夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」(13)イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。(14)しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。(15)はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(16)そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 /nはじめに  「夫が妻を離縁することが律法に適っているかどうか?」ファリサイ派の人々は、イエス様に尋ねました。律法には、離縁と再婚についての掟が書かれています(申命記24章)。 /nイエス様の答え 「モーセは何と命じたか」と、イエス様は彼らのよりどころとするモーセの律法に立ち返って質問されました。彼らは「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えました。イエス様は、「そのような掟が書かれたのは、人々の頑固な心の故であり、積極的に離婚を勧めているのではない」ということを指摘されました。「心が頑固」とは自分の醜い欲望を是認して、自分の都合のいいようにまかり通そうとする心の性質を示しています。それこそが、まさに「罪」であり、この人間の止むに止まれぬ「罪」こそがイエス様を十字架に付けることになるのです。 /n結婚の祝福 ファリサイ派の質問に対して、イエス様は次のことを明らかにされました。「天地創造主なる神様は、人間をご自分の似姿として創られ、男と女に分けて創られたこと、そして、一人の男と一人の女の二人が一つとされるという結婚の形を通して、ご自分の創られた世界を治めるようにされ、それが神様の祝福として人間に用意されたものであったこと」です。 神様の祝福は、単に二人が肉体的に一つになる事だけでなく、全存在的(肉体的、精神的、霊的、社会的)に一体になるという包括的なことを意味します。 /n「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」 イエス様は、モーセよりも更に根本の、偉大な神様の御心を根拠として離縁の問題を読み解かれました。神様の打ち立てて下さった祝福としての結婚が包括的なものである以上、二人で、その形を、少しずつ時間とエネルギーを懸けて、建設的に造り上げていくことが、神の国の民として求められていることでしょう。 /n姦通の罪 イエス様はこのあと、結婚した妻を(自分の欲望を中心に考えて)離縁して他の女をめとる男も、逆に、女性から離縁を切り出し、他の男性と再婚する女性も、相手に対して姦通の罪を犯すことになると警告しました。 結婚は、人間に対する神様の祝福ではありますが、同時に自分中心になりやすい罪深い人間にとっては、一つの試練ともなり得ます。 テサロニケ書には次のように記されています「実に、神の御心は、あなた方が聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。このようなことで兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。(略)神が私達を招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせる為です。ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです」(I:4:2-)  /n「子供達を来させなさい。妨げてはならない。」  この後、人々が祝福を求めて子供達を連れて来ましたが、弟子達は叱りました。イエス様はこれを見て憤られ、子供達を抱き上げ手を置いて祝福されました。神様の祝福は、神様に向かおうとする人々に対しては開かれており、豊かに、広がりゆくものなのです。 私達は、神様の祝福を喜ぶ者として、神様の平安の中で導かれて歩んでいきたいと思います。