「恵みによって召し出す神」  牧師 佐藤 義子

/nエレミヤ書1:4-8 /nガラテヤ書1:11-24 /n今、読んでいただいたエレミヤ書には、若き日にエレミヤに臨んだ神様の言葉が記されています。それは「私はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生れる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」というものでした。この時エレミヤは、「わたしは若者にすぎません」と、神様からの召命を拒みますが、神様は「若者にすぎないと言ってはならない。誰のところへ遣わそうとも、行って私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。」と語りました。 /n「母の胎内にある時から選び分け」 そして、今日のガラテヤ書でも、パウロがこのように言っています。 「しかし、私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(2:15)と。 パウロは、イスラエル民族として純粋な血筋の中で生れ、律法を守る点では熱心なユダヤ教徒であり、ガマリエルというユダヤ教の大指導者のもとで訓練を受けてきました。彼はその熱心さのゆえにキリスト教徒を迫害しました。その彼が、迫害を目的にダマスコの町に向かっていた時、突然、天からの声を聞いたのです。それはイエス様の「なぜ、私を迫害するのか」との言葉でした(使徒言行録9章)。彼はこの出来事を通して180度変えられ、後に、今読んだように、「私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出して下さった神」と、神様を崇めているのです。 /nユダヤ教とキリスト教  ユダヤ教で最も大切にされるのは「律法」です。律法を守ることこそ救いの道であり、天国に行く道でした。ユダヤ人の「シェマー」と呼ばれる基本的信仰告白は、「聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4-5)であり、神を愛することは、十戒を中心とした律法を守ることでした。 ところがキリスト教は、十字架で殺されたイエスこそ神から遣わされた神の子・救い主であり、神はこのイエスを死から復活させ、神の右に挙げられ、約束の聖霊を送って下さった。だから悔い改めて、イエスを「救い主」と信じる者は救われる。信仰こそ救いの道と宣べ伝えました。 律法を行うことで人は救われると教えてきたユダヤ教に対し、「イエスをキリスト(救い主)と信じることこそ神の国の民とされる道である」ことが宣べ伝えられたのです。 パウロは、(神を冒涜した罪によって殺された)イエスを、神の子と信じて、自分の全存在を支配する「主」として仰ぎ、従うように教えるキリスト教は、ユダヤ教の敵であり、撲滅すべき相手と考えて迫害したのです。その彼が、今や、「自分は母の胎内にある時から選び分け、キリスト教伝道者として外国人に遣わされている」と告白しています。 /n恵みによって召し出す神 神様を良く知らない時は、何でも自分の意志や考えでやっていけると思います。しかし信仰が与えられ、神様のご計画があることを知らされた時、私達はエレミヤのように、そしてパウロのように従わなければなりません。又、神様の御計画を知りたいと願い、祈るように導かれます。例えば、全てのことには神の定められた時がありますが、(コヘレトの言葉3章)、私達は「今がその時だろうか」と祈ります。自分の願いでなく、神様の御心を第一に考えられるようになります。パウロを恵みによって召し出した神は、私達をも恵みによって召し出されるお方です。