「愛しているならば、掟を守る」  牧師 佐藤義子

/nエレミヤ書31:31 /nヨハネ14:8-17       /nはじめに   今日の聖書はイエス様が十字架にかかられる前に、弟子達に語った訣別の説教ともいわれる箇所の一部です。弟子達はイエス様が十字架の苦難と死を予告していましたので、とても不安になっていました。イエス様が弟子達に「<span class="deco" style="font-weight:bold;">神を信じ、私を信じなさい</span>」、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">私は父の所に帰るが、あなた達はその道を知っている</span>」と語られた言葉に対して、トマスは「わからない」と答えます。弟子でも、この時点では神様のおられる天への道を理解することは出来ていなかったのです。  イエス様は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">私は道であり、真理であり、命である</span>」と言われ、イエス様を信じることが、「神様につながる唯一の道」であると教えられました。 /n「私を見た者は、父を見たのだ。」   するとフィリポが「父をお示しください」と言い出しました。「神を見たい。神がいるというなら見せてくれ。そうすれば信じる」と、この世の人々は言いますが、イエス様と寝食を共にしたフィリポが言ったのですから、イエス様の失望は9節の言葉で想像できます。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。<span class="deco" style="font-weight:bold;">私を見た者は父を見たのだ。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。</span>」 /n神は霊である。  風は目に見えませんが、木の葉がゆれれば私達は風が吹いていることがわかるように、霊も同じで、目に見えませんが存在します。霊である神様は私達人間に神様を示す為に、イエス・キリストをこの地上に送って下さいました。神様が愛の方であることを私達はイエス様を通して知ることが出来、神様が正義のお方であることも、聖なるお方(清いお方)であることも、私達はイエス様を通して知ることが出来ます。私達が、神様に出会いたいならばその方法は一つ。イエス様に出会うことです。 /n聖霊の働き  私達は地上で、肉眼で、イエス様とお会いすることは出来ません。しかし、聖書を通して知ることが出来ます。私達は、神様から送られるキリストの霊である「聖霊」の働きをいただく時、イエス様を信じることが出来、イエス様を通して神様を知り、神様に出会うことが出来ます。 /n「<span class="deco" style="font-weight:bold;">愛しているならば、私の掟を守る</span>」  「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい</span>。」(13:34)と言われたイエス様は、「あなた方は、私を愛しているならば、わたしの掟を守る」(14:15)とも言われました。又、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現す</span>。」(21節)と言われています。  そもそも弟子達同士は、お互いに関係があったわけではありません。彼らの唯一共通していたことは、イエス様御自身の愛で、愛されたことでした。イエス様は地上を去るにあたり、イエス様が弟子達を愛されたその愛で「互いに愛し合う」という、この「掟」を与えていかれました。  生まれながらの私達は、無条件に愛し合うことは困難です。しかし、真理の霊である「聖霊」の働きが伴う時、私達は、私達を愛して下さるイエス様の愛で、互いに愛し合うことが出来る道へと導かれていきます。 私達はイエス様を愛しています。イエス様が下さった掟も守る者となりたいです。そのために私達は、イエス様から愛されていることを更に深く知り、このイエス様の愛をいただけるよう祈り求めていきましょう。