「救いの実現を見る」  伝道師 平賀真理子

/nイザヤ書 52:10-15 /nルカによる福音書 2:22-38     /nはじめに   本日は、クリスマス礼拝です。イエス様のご降誕をお祝いする日です。 イスラエル民族に、救い主が誕生することが旧約聖書の預言書に書かれており、イエス様こそがその御方=何百年も待ち望まれた救い主であった事が、新約聖書に証しされています。 「罪に陥り苦しんでいる人間を、救う」と神様が約束してくださったこと、その約束を、表面上の言葉で終らせるのではなく、神の御子でありながら、人間の肉体をとって人間の罪を肩代わりする救い主を、この世に送って下さったこと、それが「救いの実現」ということです。 その始まりが、イエス様のご降誕です。本日は、イエス様誕生後の、両親と二人の証人についての御言葉をたどっていきたいと存じます。 /n低いところで   聖霊が、マリアやエリサベト(洗礼者ヨハネの母)に降り、救い主イエス様のご降誕が、神様のご計画に従って進められたことを前回学びました。へりくだった心を持ち、何よりも神様の事を第一に思う女性達の信仰が、聖霊の働いて下さる基盤になったことを知らされました。神様の栄光を受けられる神の御子の誕生ならば、地位の高い家庭とか贅沢な場所での出生を想像しがちです。ところが実際は旅路の途中、しかも家畜達と同じ場所での誕生です。しかしこれこそが聖書でしばしば語られる「弱い低い所」に来られる神様の本当の性質を示していると言えます。そして誕生を初めて知る恵みに与ったのは、社会から蔑まされていた貧しい羊飼い達でした。 権力者の横暴と一般民衆の苦しみと忍耐という、この世の罪ある状況の中に、神様は御子イエス様を誕生させたのです。 /n二人の証人  今日の聖書は、一般民衆であったヨセフとマリアが、貧しいながらも律法に忠実に従い、生まれたイエス様を聖別し、規定の献げもの(本来は小羊。ヨセフは二羽の山鳩か家鳩)の為に、エルサレム神殿に行った時の出来事です。両親はそこでイエス様について「証し」をする二人の人に出会います。(イスラエル社会では、証人が二人以上いて、初めて公に承認される)。 最初の証人・シメオンは、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">正しい人で信仰が篤く、聖霊が彼にとどまって</span>」いました。「聖霊」によってシメオンは、「イスラエルの民の救いを待ち望み、主が遣わすメシアに会うまでは死なない」とのお告げを受けており、神殿に連れて来られたイエス様を見て、メシアとしてイエス様を腕に抱き、神様を讃美します。讃美の内容は、主が約束通り救い主に会わせて下さったので安心してこの世を去ること。もう一つは、救いを待望したイスラエルの預言者としての役目から解放されることでした。そしてこの救いは、イスラエル民族を始めとして、全ての民の救いに広がっていくものであると告げています。 二人目の証人は、女預言者アンナです。やもめであり、高齢でしたが、神殿から離れず、神様の事を第一に過ごしていました。このアンナが、幼子イエス様に近づいて来て、神様を賛美して、「救い主」に出会えた恵みをエルサレムで救いを待ち望んでいる人々に伝えました。 /n救いの完成 イエス様のご降誕という救いの実現を、後の時代の私達も、神様の御計画と信じることが出来るように、そして、救いの完成は、主の再臨の時と言われますが、その時迄に、主の御前に義しい信仰を積み重ねていきたいと望みます。弱く、この世のさまざまなものに心を奪われがちな私達ですが、クリスマスのこの時期、神様の深い愛によって赦されて救いに与っていることを覚え、一層の感謝と信仰を献げたいと願います。 イエス様のご降誕という救いの実現を、(シメオンやアンナは肉眼で見ることができたのですが、その時代に生まれていない、後の時代の私たちは、肉眼で見ることはできなくても、知らされて理解することはできます。このできごとを、)ただ聞かされて知っているのという段階ではなくて、神様のご計画と信じ、神様の啓示が明らかにされているのだとして、心の目で正しく見ることができるように、聖霊の助けを祈り求めてまいりましょう。