「山上の説教」   牧師 佐藤義子

/nイザヤ書 57:14-15 /nマタイによる福音書 5:1-12            /nはじめに    マタイ福音書5章から7章までのイエス様の教えは、山上の説教(垂訓)と呼ばれています。ここには、イエス・キリストの教えが凝縮されているとも言われます。特に7章12節の「<span class="deco" style="font-weight:bold;">人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい</span>。」との教えは、ゴールデン・ルール(黄金律)として、世界中の人々に良く知られている言葉でもあります。 /n心の貧しい人 イスラエル民族の歴史において、「貧しい人々」とは、自分の国を失い、自分の土地を奪われ、見知らぬ外国での生活を強いられた「バビロン捕囚時代」のイスラエルの人々全体を指す言葉でした。その後イスラエル社会は、異教社会の影響を受け、社会の上層部と社会的に貧しい人々に分かれ、祭司の家系も含めて上層部の人々は堕落し、「貧しい人々」とは、自分達の困難な道を受け入れ、昔から伝えられてきた神様への信仰と、神様の戒めを大事に守っている敬虔な人々を指すようになりました。彼らは貧しさゆえに抑圧や不正が加えられ、迫害され、時に嘲笑され、全てを神様に期待せざるを得ない人々でしたから、神様の裁きと神様の助けと救いを待ち望みました。「心の貧しい人」とは、神様の前での自分の心の奥底の貧しさを知っている人々、「打ち砕かれて、へりくだる霊」(イザヤ57:15)をもっている人で、「幸い」との根拠は、将来的に、天の国が彼らのものだからです。 /n悲しむ人々  肉体的な悲しみであれ、精神的な悲しみであれ、神様はもっとも必要とされるところに共にいてくださいます。ヤコブ書に、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">悲しみ、嘆き、泣きなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなた方を高めて下さいます</span>」(4:9-10)とあります。悲しむ人々への約束は、「神が、彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」(黙示録7:17・21:4)ことです。 /n柔和な人々 「柔和」には、「行き過ぎず、足りなくもない真ん中の道」の意味があるそうです。怒るべき時に怒り、怒るべきでない時に怒らない人とも説明されます。又,すべての本能、衝動、激情を抑制、制御、自制できる人であり、すべての「誇り」を取り去る「謙虚さ」の意味もあるそうです。彼らには地上にあって「地を受け継ぐ」ことが約束されています。 /n義に飢え渇く人々  彼らは、神様が,自分達の態度を不正であると憎み、拒否されることに耐えられません。神様を愛し、自分達の奉仕によって、神様の御心が実現されることを願う人々です。 /n憐れみ深い人  彼らには、神様の憐れみが約束されているから、だから幸いなのです。 /n心の清い人々  偽善や欺瞞がなく、自分から汚れを避ける自己放棄をした人々の心の清さこそ、『神を見る』という最高の宝を約束されています。 /n平和を実現する人々  平和を実現する方法は福音の中にあります。それは、私達を自分自身の思いから解放し、すべての者が同じ神様に服従することです。しかし、人々は、福音の教えに対し、必ずしも歓迎するわけではありません。むしろ、平和を打ち立てようとするイエス様の弟子達は、多くの人々の怒りに出会うことになります。それゆえ、そのことが起こる前から、イエス様は、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">義の為に迫害される人々は幸いである</span>」と教えられました。 /n「<span class="deco" style="font-weight:bold;">大いに喜びなさい。天には大きな報いがある</span>。」(12節)  イエス様は平和の君であり、同時に、義(正しさ)の為にはどのような犠牲も受けられました。イエス様は義のために迫害を受ける時、大いに喜ぶようにと命じておられます。大きな天の報いが待っているからです。 私達は、人間の報酬よりも神様からの報酬を尊ぶ者になりたいと思います。イエス様に従う者は、この世の戦いにおいてイエス様と共に働き、又、イエス様と共に苦しみます。しかしその苦しみは、必ず大きな喜びに変えられることを、私達は心にしっかりと覚えたいと思います。