「聖霊降臨の恵み」伝道師 平賀真理子

/n申命記4:23~24・35~37 /n使徒言行録2:1-13 /nはじめに 聖書の後ろにある「用語解説」で「聖霊」を調べますと、「聖霊」とは「神の霊」の別の名とあります。「神」とは聖書で証しされている神様のことで、「聖霊」はその神様の霊のことです。 イエス様の人間としての歩みは聖霊によって始まり、神の国の宣教を始める「公生涯」も洗礼直後に聖霊が降るところから始まっています。更に弟子達にも「聖霊」が働き、彼らを導き助けてくれることを、イエス様ご自身が預言されています(参照:ヨハネ福音書14章・16章、使徒言行録1:8)。その預言通りのことが最初に、実際に起こった!それが、「ペンテコステ」の出来事です。 /n神様の恵み 神の霊である聖霊が、一人一人に降(くだ)る。そして、私達のそばに来て、共に歩んで下さる。神様の意志に背き、神様に従うことを拒んで、罪の世界で苦しんでいた人間にとって、それはまさしく「神様の恵み」であり、奇跡的な出来事でした。イエス様の十字架による「罪の贖い」と、イエス様の復活に示される「罪への勝利」がなくては、そのような恵みはあり得なかったのです! /n福音宣教のために 今日の聖書では、イエス様を信じる者達が一つになっているところに「聖霊」が降りました。神様からのエネルギー、人間への愛の強さを思わせる、ものすごい音と共に「聖霊」が降り、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と記されています。「炎」は、神様の人間への激しい愛の強さ=「熱情」を表す表現と言えるでしょう。又、「舌」は、いろいろな国や地域の言葉、母国語と読み取れます。それぞれの弟子達が、「神様の救いの業」の一部を担う役割を与えられ、「神の国の福音の宣教」を全世界に広げる役割を与えられたと取ることができます。 /n2000年前から今日まで  この出来事は、2000年前に起こった、私達に関係ない出来事ではありません。聖書で述べられているように、イエス様を救い主と告白するのは、聖霊の御力をいただいて、初めてなされることです。そこに神様の働きが示されるからです。聖霊を受けて、迫害にも負けずに、福音を伝えようとする人々が起こされ続けたからこそ、遠いパレスチナから 日本の、現代に生きる私達の人生のそれぞれの時期に到達したのです!これが単なる偶然の積み重ねでしょうか。そうではありません。イエス様がこの地上を去られてから後、福音伝道をずっと導いてこられたのが「聖霊」です。その聖霊の恵みを受けて、私達は、信仰の喜びを得る ことができた(できる)のです! /n聖霊を受けるにふさわしくなるには? 聖霊を受けたいと願うならば、神様が大事だと思うことを、自分も大事にすることです。神様は、御自分が造られた人間が、本来の姿を取り戻す・・つまり罪の世界に生きている人間が、神の国の民として救われることを望んでおられます。そのために福音が示されました。私達は、福音=「救い主イエス様の御言葉と御業」が、自分自身にとって大きな恵みだということを知ることが大切です。そのために週の初めの礼拝と、日々聖書を読み、祈ることです。それによって私達は、実は、聖霊をいただくための準備をしているのです。聖霊降臨の恵みは2000年前の弟子達だけの特権ではなく、準備をもって信じて祈り求める者なら誰でも、(神様が決められた)その時に、受けることができます。イエス様の愛のまなざしが、信じる者に注がれています。福音の証し人として生きるキリスト者に、いつでも聖霊の助けを求める道が用意されているのです。