「主イエスと共に生きる」牧師 佐藤義子

先週(12月1日)の礼拝説教要旨  /nイザヤ書51:4-8 /nテサロニケ5:1-11           /nはじめに  本日は、仙台南伝道所において初めて礼拝がささげられてから満11年を迎えた記念の日です。今年の記念日は特別です。なぜなら私達には新しい礼拝堂が与えられて、来週から新しい礼拝堂で礼拝することになっているからです。これは大きな喜びです。この場所で初めて礼拝をささげるようになった時からの願いと祈りを、神様が受け入れてくださり、実現に至らせてくださったからです。  礼拝堂建設は大きな出来事であり、そのわざを起こして下さった神様に心からの感謝をささげます。それと同時に忘れてならないことは、教会は建て物ではなく、神様を信じ、イエス・キリストを神の子・救い主であることを信じる信仰共同体であるということです。どんなに立派な建物が与えられたとしても、その建物の中に、神様に賛美と祈りをささげる人々がいなければ、それは教会ではありません。逆の言い方をすれば、11年間、私達の伝道所は「礼拝堂」をもたなかったけれども、賛美と祈りをささげる信仰共同体の群れ(=教会)として歩み続けることが出来たということです。これからは場所を佐藤博子姉の家から、新会堂に移して、そこでは、必ず毎週、日曜日の礼拝が行われており、そこにいけばクリスチャンに会うことが出来、そこにいけば神様に出会える場所があり讃美歌を大きな声で歌うことが出来、何でも祈れることが出来るのです。教会とは、建て物ではなく信仰共同体のことであることを、改めて心に刻みたいと思います。   /n教会のメッセージは「福音」 この11年間、毎週の礼拝において何が語られてきたのか、これから新しい礼拝堂で何を語り続けていこうとしているのかを問われるなら、それは「福音」です。福音とは「喜びの訪れ」という意味です。教会は喜びの訪れを伝える場所です。どんな喜びなのでしょうか。それは、今までは神様は目に見えず、ただ頭の中で想像するしかありませんでしたが、神様が御子イエス・キリストを、私達の住むこの地上に送って下さった!(これが本当のクリスマスの喜び)ので、私達は想像ではなく、実際に神様がどういうお方であるか(聖であり、義であり、愛である神)を知ることが出来るようになりました。そして神様が私達人間をどれほど大きな愛で今も愛し続けて下さっているかを、私達は礼拝を通して、聖書を通して、祈りを通して、又、実際の生活の中で、日々知ることが出来るようになりました。 /nイエス・キリストは、再び来られる 今日の聖書、テサロニケの手紙では、イエス・キリストの再臨について記されています。聖書はその時を、「この世の終りの時」として伝えます。その時、準備のない者は、あわてふためきますが。聖書には、私達がその時にどう備えておくべきかを教えています。それが8節です。 「<span class="deco" style="font-weight:bold;">信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望をかぶととしてかぶり、身を慎んでいましょう</span>。」とあります。「胸当て」「かぶと」は戦う時の武具です。再臨に備えて武具が必要なのは、せっかく神様の恵みによって信仰が与えられても、その信仰が、使いものにならない状況に陥る人達が出て来るからです。私達を神様から引き離そうとする力が、「矢」や「剣」にたとえるならば、それを迎える武具が「信仰と愛」であり、「希望」なのです。神様は私達を罪の支配から救い出して下さった。私達は罪から救われた者として、今は、イエス・キリストと共に歩んでいます。やがて必ずやってくる終りの日に、私達は、神の国に招かれる希望の中に置かれています。 「<span class="deco" style="font-weight:bold;">キリストは私達のために死なれましたが、それは、キリストと共に生きるようになるためです</span>。」(10節)