「エジプトへの避難」   牧師 平賀真理子 

/nエレミヤ書31:15-17 /nマタイ福音書2:13-18            /nはじめに  今日の聖書は、東方の博士の帰国から始まっています。博士達はヘロデ大王とユダヤ教指導者達から「救い主誕生の地はベツレヘム」と教えられたので、人間的判断では帰り道に報告をすべきでしょう。けれども「そうするな」と夢でお告げがあったと記されています。「神様を知らない異邦人」として軽蔑されていた彼らに、神様からの働きかけがあったのです。 /n幼児虐殺の出来事 メシア誕生のニュースに不安を抱いたヘロデ大王は、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を殺せとの命令を出しました。18節の、「ラケルは子供達のことで泣き・・」というエレミヤ書31:15の引用は、民族の母と呼ばれるラケル(創世記35:16)が、お墓の中から、虐殺された子供達のために嘆き悲しんでいるとの、預言の成就として記しています。 /nエジプトへ  神様の働きかけはヨセフにもあり、ヘロデ大王の殺害計画を夢で知らされ、闇の中を厭わずに命じられるままにエジプトへと避難します。エジプトは、モーセがイスラエル民族を率いて脱出した異邦人の国です。この「出エジプト」の出来事は、イスラエルの人々にとって歴史的な大きな体験であり、彼らの待望する救い主は、モーセの「出エジプト」の形をとると考えられていました。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した</span>」(15節)とのエレミヤ預言がこのあと成就する前提として、引用されています。 /n避難 「避難」とは大変な苦難から逃れることです。イエス様の救い主としての歩みは、最初から苦難の連続でした。生まれる前から母胎は旅路にあり、生まれる直前でも両親は宿屋を見つけることが出来ず、お生まれになっても用意されたベッドはなく飼葉桶に寝かされました。誕生後は外国へ避難せざるを得ず、しばらくはエジプトで過ごされました。ユダヤ人の考える「救い主=栄光の主」の姿とは全然違っており、その頂点が十字架でした。 /n十字架による罪のゆるし  幼児虐殺の話は、救い主誕生という喜ばしい出来事が、心根の悪い為政者によって悲しい出来事に変えられています。幼児達は人間社会の罪(武力で権力を持つ者の支配を許している大人)の犠牲者といえます。 イエス様の十字架は、まさしくこのことを表しています。逆に言えば、人間がいかに多くのぬぐい難い罪を背負っているかを物語っています。この「罪」を知らされて「自らの罪」と格闘し、最後は主の十字架によって罪が赦されたことを信じることにより救われることを知っているクリスチャンの行動は大変重要です。 /n東日本大震災 家族や愛する者を亡くされた方々、家屋財産を失なった方々、故郷に帰れない方々など、避難されている方々が沢山おられます。大震災も又、神様が造られた自然界の壮大さを忘れ、人間の力ばかりに頼る傲慢さ、用心を怠る慢心、行政の無力、自己中心、人間が自分の弱さや愚かさや悪さを忘れた「罪」を思い起こさせるために、被災された方々が、私達人間の代表として負われていると見ることができるようにも思います。 震災後の多くの問題に、私達がどのように考え、行動し、歩み続けるかを、贖い主のイエス様が見ておられます。クリスチャンは、表面的でなく、つけ焼刃でない「根本からの救い」が、主の十字架と復活によってもたらされていることを知らされているからです。 /n共にいて下さる神(インマヌエル・マタイ1:23) 今日の旧約聖書で「<span class="deco" style="font-weight:bold;">息子達は帰って来る。あなたの未来には希望がある</span>」と主は保証して下さっています!私達は、神なしに生きていた時の恐怖や孤独から解放され、「共にいてくださる神」が、ぬぐい難い罪や大きな苦難の中にいる私達に、わかる形で最善の道を示して下さいます(ヨセフや東方の博士達のように)。イエス様は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">聖霊があなた方にすべてのことを教える</span>」「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしの名によって何かを願うならばかなえてあげる</span>」(ヨハネ14章)と約束されています。 今週も、人生の様々な問題の答えを教えていただけるように、聖霊の助けを祈り求めてまいりましょう。