12月6日の説教要旨 「イエス・キリストの誕生の予告」 牧師 平賀真理子

イザヤ7:14 ルカ福音書1:26-38

 はじめに

見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」とイザヤ書7:14に預言があります。神様はずっと昔から、救い主である人間をこの世に送ることを、人間達に約束してくださっていて、確かに実現してくださる御方なのです。その救い主の到来の前に、救い主を証しする重要な人物をこの世に送ることをも預言し、約束してくださっていました。その重要な人物が、「洗礼者ヨハネ」として、その誕生を父親ザカリアが天使ガブリエルから預言されたことは、今日の箇所の直前の段落に書かれています。

 ダビデ王の子孫ヨセフの婚約者マリアへの預言

ザカリアに主の御言葉を伝えた6か月目に、天使ガブリエルは再び神様から任命され、人間へ御言葉を伝えることとなりました。いよいよ、「救い主」の母となるマリアへ神様の御言葉を伝える使命です。救い主はダビデ王の子孫から生まれるという預言(サムエル記下7:12-13)があり、マリアはダビデ王の子孫ヨセフの婚約者でした。それで、マリアは預言どおりの「救い主」の母として神様に選ばれたのでしょう。

 「救い主」の母マリアへの天使の挨拶

天使の「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」(28節)という言葉は、信仰者への最高の言葉のプレゼントだと思います。「おめでとう」は元々の言葉では「喜べ」という意味があります。「喜べ、あなたは神様から恵みをいただいている。神様があなたと共におられる。」天使も、救い主の母となるマリアに「言葉の献げ物」をしたのかもしれません。

 考えて、主の御言葉を受け入れようとするマリア

しかし、天使が現れて自分に語り掛けるようなことを見た場合に、人間は普通の状態でいられるでしょうか。もちろん、マリアもまず、「戸惑い」ました(29節)。これはかなり抑えた訳し方で、元々の言葉では、もっと動揺している感じ、取り乱す感じが含まれています。その混乱の後、マリアは天使の言葉を一生懸命考え込んでいます。信仰深く、慈愛に溢れた人という一般的なイメージに加えて、マリアは言われた言葉をよく考えるという思慮深い人だったと思われます。

 「聖なる者、神の御子」の誕生の預言

30節以降の天使の言葉はザカリアに対する言葉と同じく、また「詩」の形をとって書かれています。真実で美しい、主の御言葉が伝えられているのでしょう。マリアがこれから身ごもり、男の子を産む定めにあることを知らされ、その子の名前を「イエス」と名付けるよう告げられたのです。また、その子は「聖なる者、神の子」と呼ばれるようになり、先祖ダビデ以上の王として、人々を治めるようになることが伝えられました。

 「聖霊が降り、いと高き方の力がマリアを包む」

天使をとおして告げられた「主の御言葉」に対して、子供が産まれる関係をまだ結んでいないのに、自分が身ごもることはあり得ないと、マリアは人間的判断で答えました。これに対して35節の天使の答えが実に重要です。「聖霊がマリアに降り、いと高き方(神様)の力がマリアを包む、そうしてマリアは神の子を身ごもる」と説明しています。イエス様は人間としてこの世に来てくださるために、胎児として人間の歩みを始めるのですが、人間と全く同じではなくて、最初から「神の子」なのです。「神の霊」である「聖霊」は、神様の御心を実現するためにこの世に働きかけて、どんなことでも実現することがおできになります。聖書の最初に書かれている「天地創造」を思い出していただきたいのです。全くの「無」から、御言葉によってこの世をお造りになることがおできになるのが神様であり、その力を神の霊である聖霊は持っておられます。聖霊は「救い主」の母としてマリアを選び、「包む」ことにより、マリアと共に居て、守り、愛し、その結果、神の御子が産まれる奇跡が起こったと思われます。神様の「救いの御計画」を、人間は、ただ信じて受け入れるのみです。

 マリアの大いなる信仰=「お言葉どおり、この身に成りますように。」

マリアに確信を与えた「しるし」として、親類のエリサベトの妊娠が挙げられます。「不妊の女」という不名誉な呼び名から解放なさる神様を信じる決意をマリアはすぐにしたのです。マリアは、姦淫の罪を犯したと誤解されて死罪になるかもしれない使命を、敢然と受け入れる信仰を示しました。「お言葉どおり、この身に成りますように(38節)。」その信仰を手本として、待降節を過ごしましょう。

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