1月31日の説教要旨 「あなたの道」 吉田 新 先生(東北学院大学)

テサロニケの信徒への手紙一3:11-13

 はじめに

 本日は「キリストとは私たちにとって誰か」「私たちに何をなさる方なのか」について、聖書から共に学びたいと思います。

 ドイツの街並みと石畳

私が長く住んでいたドイツは街並みをとても大切にします。昔からの街並みを保存することに力を注ぎます。このことで一つ驚いたのは、住んでいた町の道です。私が住んでいたのは歴史的な建物が立ち並ぶ地域でしたが、この地域の道はすべて石畳です。アスファルトの道もありましたが、原則は石畳。石畳はあまり頑丈ではありません。自動車やトラックなどの重い車両が通り続ければ、壊れてがたがたしてしまいます。ですから、石畳は新しく敷き直す必要があります。こぶしぐらいの石を一つ一つ組み合わせて、ずれがないように道に並べていきます。気の遠くなるような作業です。

 古代の道

アスファルトを流すだけの現代の道と違い、かつて、このようにして道をつくりました。聖書の世界も同じです。イエス様やパウロが生きた時代、ローマ帝国が地中海を支配していた時代、ローマ帝国は支配した各地に交通網を整備しました。ローマ帝国が敷いた道は、主に人々が行き来する交易路としての役割がありましたが、さらに重要なのは軍隊を迅速に移動させるための道です。

キリスト教の教えが地中海全般に広まることができたのは、この道のお陰だと言えます。キリスト教の伝道者の多くは、ローマ帝国内に整備された街道を歩いて、様々な地域を行き来しました。その中でも特に有名なのはパウロです。パウロの生涯の移動距離は1万6000キロメートルと言われています。東京からニューヨークまで約1万899キロメートルですから、パウロはそれ以上の距離を旅したことになります。パウロは陸路だけではなく、海路、つまり船を使って移動しています。しかし、船では行けない場所は徒歩です。パウロにとって伝道とは、道を歩くことに他なりません。パウロは伝道のために訪れた街に教会を建て、その教会の人々に向けて手紙を出します。本日、お読みした「テサロニケの信徒への手紙 一」も その一つです。

 道をまっすぐにする

この手紙の第3章では、パウロはテサロニケにもう一度、訪れたいという望みを託しています。しかし、それがかなわず、彼の協力者であるテモテを彼らのもとに遣わします。テモテが再び、パウロのもとに戻ったことを告げ、その最後に先ほどお読みした言葉を記します。11節「どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように」とあります。原文から私なりに訳し直します。「わたしたちの父なる神御自身、また、わたしたちの主イエスが、わたしたちの道をあなたがたのところへとまっすぐにしてくださいますように。」原文では「道を開く」では、「道をまっすぐにする」という意味です。新しく道を切り開くという意味ではなく、目的地へ辿りつけるように道を整えてくださるということです。

この一文、何気なく読み飛ばしてしまう箇所かもしれませんけれど、イエス・キリストがパウロにとってどのような存在であったのか、そして私たちにイエス・キリストは何をしてくださるのかを知るための大切な手掛かりを秘めていると思います。

道をまっすぐにするというのは、実は大変な作業です。石畳を敷き詰める前に、まず、地面を平らに整える必要があります。そして、でこぼこにならないように慎重に敷き詰めなくてはなりません。平地ではなく、山岳地帯や緩急が激しい場所の道をまっすぐにするとなるとなおさらでしょう。

 あなたの道

しかし、このような作業は私たちではなく、キリストが行ってくださるのです。私たちのために道をまっすぐにしてくださるのは、イエス・キリストです。何年もかけて、多くの道を歩いたパウロは、そのことを確信していたに違いありません。

わたしたちは自分の力で自分の道を歩かなければいけません。一生をかけて、自分の道を歩くのです。誰もその代わりができません。時に重い荷物を背負わなければならない時もある。疲れてその場に倒れ込むこともある。心がくじけることもある。もう、私は歩けないと嘆きたくなる時もある。でも、私たちの足で一歩一歩、歩いていかなくてはなりません。やさしい道だけではありません。困難な道もきっとあるでしょう。

しかし、一つのことだけ覚えていてほしい。

イエス・キリストが、あなたが歩いているその道を、あなたが歩きやすいように、まっすぐに整えてくださいます。だから、あなたは何も心配しなくていい。あなたは何も恐れることはありません。もう、泣かなくていいです。くじけないで、勇気をもって、歩き続けましょう。キリストは、あなたの道をまっすぐにしてくださいます。